日本映画のマイ・ベストは、1位が「七人の侍」、2位が「ゴジラ」(一番古い方)、3位が「二十四の瞳」です。ベタですね。
黒澤映画は「生きる」も「椿三十郎」も「赤ひげ」も「隠し砦の三悪人」も「天国と地獄」も大好きです。
今回は「天国と地獄ってあるの?」「人は死んだらどうなるのか?」という、根源的な問いについての話です。宗教と哲学の違いは、この質問に答えられるかどうかで分かれるとすら考えています。
キリスト教において、「死」とは〝耐用年数〟のある肉体から、霊が分離することを言います。
新約聖書「ヘブル人への手紙」9章27節には「人は死んだらみんな裁きを受けるねんで」とあります。「マタイの福音書」25章には「永遠のいのちに入る人と、永遠の刑罰に入る人」の話が出てきます。つまり天国と地獄のどちらかのコースしかないということです。
聖書には、天国に入れるのは、イエスを個人的な救い主として受け入れ、イエスが十字架で流した血潮によって罪を清められた者だけ、とはっきりと書かれています。宇宙空間で生存できるのは宇宙服を着た者だけ、というのと似ているかもしれません。
もちろん、それを立証する方法はありません。百歩譲って、聖書に書いてある通りではないかもしれません。
先日、1997年の米映画「コンタクト」を観賞しました。この映画の主題って「それを証明することはできないけど、確かにそれ(そこ)は存在する」なんですよね。主人公にできる事は「自分の言うことを信じてもらう」ほかない。
人は死後どこに行くのか、についても同じです。聖書には、イエスだけが天国に至る道だと書いてある。私にできる事は「自分の言うことを信じてもらう」ほかない。もし聖書に書いてある通りなら、死んだ後に後悔しても後の祭りですからね。
消臭力ならぬ芳香力
だから、私は一人でも多くの人に、イエスを心の玉座に受け入れてほしいと心から願っています。でも、日本でイエスを宣べ伝えることは、非常に難しい。
理由はいろいろあると思います。ここでは、二つのことだけ指摘しておきたいと思います。一つ目の理由は「信じなくても(そこそこ豊かに)暮らせていけるから、神を真剣に求める必然性に駆られない」。
もう一つは、オウム真理教が残した傷の深さですね。オウム事件後に書かれた日本文学を見てください。「1Q84」にしても「八月の蝉」にしても描かれているのはカルトっぽい宗教団体で、キリスト教やその他の既成宗教を肯定的に描く現代日本文学を読んだ記憶がありません。
日本のような国は、時間がかかるかもしれないけど、「うなぎの蒲焼」戦術しかないのでは、と私は考えています。うなぎの蒲焼って「買って! 買って!」と大声を出さなくても、香りに引き寄せられた人が次々と買い求めていくじゃないですか。
新約聖書「コリント人への手紙 第二」の2章に、「クリスチャンちゅーのは、神の芳香剤やで」と書かれています。イエスと共に歩んだ人生を通して人格が練られ、気品ある者となり、クリスチャンから漂う「いい香り」が人を引き付ける。「あの人はつらいことがあってもどうして笑顔でいられるの?」「あの人は自分に嫌がらせをした人にどうして仕返しをしないの?」と疑問に思った人が、「へぇー、あの人クリスチャンなんだー、だからかー」と納得し、「そんな神さまだったら私も信じてみてもいいな」と思わしめる。
迂遠なようですが、私はこの戦術を進めたいと思っていますし、そう思ってもらえるような生き方をしたいと考えています。
まだまだ道半ばですが。