わが家の録画番組は、見事に3分類されます。母の韓国ドラマ▽私の映画と教養番組(Eテレだいすき)と「新婚さんいらしゃい」▽娘のアニメ--です。
新聞記者の端くれとして、世間で何が話題になっているかは押さえておかないといけないので、娘(=世間代表)が観賞するアニメを、彼女の脇で見るとはなしに見ています。
私がついて行けるアニメとそうでないアニメがあるのですが(笑)、前者の代表格は「僕のヒーローアカデミア」、通称ヒロアカです。
ヒロアカは未来の日本が舞台で、人口の8割は何らかの特殊能力を持っており、それを悪用する勢力と取り締まる勢力が対立しているという設定です。主人公は2割の、能力を持っていない側の人間ですが、引退間際のスーパーヒーローから特殊能力を受け継ぎ、彼のようなヒーローを目指して友人たちと切磋琢磨しながら悪に立ち向かいます。
番組を見た感想は「これは少年ジャンプ作品の王道だ!」でした(原作はジャンプの連載漫画)。
ヒロアカの根底に流れるのは「成長」なんですよ。ヒロアカに込められたメッセージは「少年、少女たちよ成長せよ。われわれ大人は君たちを待っているぞ」です。能力を持たない主人公は、特殊能力を受け継ぐために必死で努力します。ヒーロー養成学校(雄英高校)に入った後はそれが日常になります。敵対勢力もどんどん強くなるので、少年少女たちは、強くなるための道をひた走ります。
本作を「ジャンプの王道」と評した理由は、ジャンプは常に、そのような作品を世に送り出してきたからです。「魁!! 男塾」しかり、「ドラゴンボール」しかり、「スラムダンク」しかり。登場人物たちは対抗勢力やライバルが強さを増すのに追いつけ追い越せと、自らを徹底的に鍛え、さらなる高みを目指します。ジャンプ自体が「少年たちを教化する社会的な装置」であると言えましょう。
余談ですが、ジャンプの登場人物中、成長しなかった数少ないキャラクターが、「こち亀」の両さんでした。成長しない、基本的には一話読み切りだったからこそ、あれだけの長寿作品になったのでしょう。
いや、ジャンプについて語りたいんじゃないんですよ(笑)。ここはキリスト教の解説サイトなんですから。
日本のキリスト教界ではあまり重視されていないように感じるのですが、「成長(または成熟)」はクリスチャンとして生きる上で、とても重要なテーマです。いくつか聖書から引用してみましょう。
「私らはみんなな、神の御子に対する信仰と知識において一つになって、一人の成熟した大人になって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するんや」(新約聖書「エペソ人への手紙」4章13節)
「そやから私らは、キリストについての初歩の教えを後にして、成熟目指して進もうやないか」(同「ヘブル人への手紙」6章1節)
「私らの主で、救い主のイエス・キリストの恵みと知識において成長しなはれ」(同「ペテロはんの手紙パートⅡ」3章18節)
ね。
時間というのは、触ったり感じたりできませんが、すべてのものに「何かしらの変化」を及ぼすものです。赤ちゃんが幼稚園や学校に入り、やがて社会人となるように、クリスチャンになった後の年数と成熟度には、基本的に相関関係があると私は考えています。
聖書もその考えを支持します。
「あんたらはやなあ、年数からしたら教師になっとらないかんのに、神が告げたことばの初歩を、もういっぺんだれかに教えてもらわないかん。あんたらは固い食いもんやのうして、乳が必要や。乳を飲んどる者はみんな、子供や。固い食いもんは、大人のもんや」(「ヘブル人への手紙」5章12~14節)
私は普段「人格の成長には『人・本・旅・苦痛』の四要素が必要」と言っているのですが--つまり肉体と同じで心にも適切な負荷と栄養が必要なのです--、信仰と霊性が成長したオトナの信仰者になるには、この四要素に加えて日々聖書を読み、聖霊の取り扱いを受けることが不可欠だと思います。
私がクリスチャンになってから四半世紀が過ぎようとしています。私は常に自問自答しています。「お前はこの間の年月にふさわしい成長・成熟を遂げているか?」。評価は周囲に委ねますが、聖書に関する知識、愛ある行動、人格等すべてにおいて、年月にふさわしいレベルでありたいと思います。
ヒロアカの主人公に追いかける背中があるように、私にも、模範とする信仰のヒーローたちがいました。あの牧師、この宣教師、そのクリスチャンの先輩方。みな、私にクリスチャンとしてのあるべき生き様を示してくれました。その意味で、各地の教会こそが私のアカデミア=雄英高校でした(「良い教会」の定義があるとすれば、その一つは聖書と聖霊によって養われた成熟したクリスチャンの多い教会、と言えるかもしれません)。
私もまた、自分の子供たちや周囲の若いクリスチャンたちに、そのような存在でありたいと願っています。