こちらに参加してから、「年1回ぐらいはリトリートに参加したい」と思うようになりました。
調べてみると、滋賀県近江八幡市のプロテスタント系施設・アシュラムセンターが、「修道場アシュラム」という1泊2日のリトリートを設けていることが分かったので、2025年10月に夫婦で参加しました。全体の参加者は5人でした(これぐらいがちょうどいい)。
W・M・ヴォーリズという著名なクリスチャン建築家による「シメオン黙想の家」と、隣の「アンナ祈りの家」を主会場に、礼拝、聖書黙読、分かち合い、祈り等、充実したプログラムが用意されていました。特に聖書の特定の個所を1時間かけてじっくり読む、というのはなかなかない体験でした。
2024年に参加したカトリック系リトリートは「霊性」に寄っていました。そもそも古典的名著「霊操」書いたイグナチオ・デ・ロヨラがイエズス会を創設し、イエズス会の日本人司祭がリトリートを主宰していたのですから、そのような場になるのは当然です(興味のある方は、アントニー・デ・メロ司祭の「東洋の瞑想とキリスト者の祈り」を読んでください。方法論はこの本に基づいたものです)。
アシュラムの方は「聖書中心主義」を強く感じました。ローマ法王による権威を否定し、「聖書のみ」を唯一の権威としたのだから当然なのですが、対比することでそれぞれの特徴や良さがはっきり感じられました。
興味深いのは、2024年のカトリックリトリートも、25年のプロテスタントリトリートも、共にインド哲学や仏教の影響を強く受けている点です。先に紹介したアントニー司祭はインド生まれでイエズス会で司祭叙階後、スペインで哲学、アメリカで心理学を学んで後、インドに帰って東洋と西洋の哲学の統合を試み、司牧的カウンセリング「サダーナ」を主宰されたそうです。アントニー司祭の方法論には、仏教の瞑想の方法論がかなり積極的に取り入られているように見受けられました。
プロテスタントのリトリートは、厳密には「クリスチャン・アシュラム」と言うのですが、創始者でアメリカのメソジスト派宣教師・神学者スタンレー・ジョーンズは、インドでガンジーと親交があり、ガンジーのアシュラムにしばしば参加していたそうです。当然、インドの思想性が強く出ますよね。日本では榎本保郎牧師がクリスチャン・アシュラムの働きを始め、2025年に50年を迎えました。
キリスト教が西欧社会から見て東に伝播した際、最初にたどりつく思想的大国がインドでした。そのインドで哲学や仏教とキリスト教が溶け合って生み出されたものが、日本のリトリートの中に見られるというのは興味深いです。
余談ですが、医療の世界でも同じ事が起きています。マインドフルネスがそうです。あれは西洋医学がインド哲学を取り込み、宗教性を取り除いて一つの医療技術として確立したものです。今や日常生活にまで落とし込まれていますね。
以下はその後、アシュラムセンターの機関誌に依頼を受けて執筆したものです。日々の喧騒を離れて静かに神と向き合いたいと考えている信者の皆さん、一度参加してみてください。
湖畔のカペナウム
大阪はバビロンです。
JR大阪駅から西は高層ビルばかりです。創世記の時代から、自己を中心とする人間は、建物の高さで己の権勢を誇ってきました。
大阪はソドムです。
JR大阪駅から東は飲食店の集積地域なのですが、界隈を歩くと、何となくアヤシイと思うエリアがあります。出身者に聞いたところ、そういう歴史のある所でした。
そんな資本主義どっぷりの大阪に、仕事とは言え毎日のように通っていると、心と霊が窒息していきます。だから、騒々しい都市生活を離れ、心静かに神と向き合う時間が、1年に1回ぐらいは必要なのです。
湖畔の近江八幡はカペナウムです。
アシュラムが開かれた10月9~10日は、ひょっとしたら2025年で最も気候の良い時期だったかもしれません。あのどうしようもなかった暑さが嘘のようでした。
さわやかな風が吹く中、ヴォーリズ建築の「シメオン黙想の家」の庭に椅子を並べて、聖書を読んで示されたことや、祈りの課題を分かち合った一時。うるわしい時間でした。心が解放され、霊に自由が戻るのが分かりました。
黙想の家の一室で、一人だけで聖書を読む夜の1時間。静かに静かに、時が流れていきました。
そのあと、庭に置かれた椅子に、妻と座って星空を見上げました。虫の鳴き声以外聞こえません。極上の時間でした。
ヴォーリズの建築は可憐というか、野辺の花のように控えめというか、建築家としての自己主張が前に出ていないんです。
滞在中「アンナとシメオン」誌で知ったのですが、ヴォーリズは「さらに霊的方面に至っては、なお深い大きな関係があって、今の精神修養のことばかりでなく、心理学上から考えて、吾々と住宅とは、切っても切れない微妙な霊的関係があります」と、書き残しているそうです。
建築とは個人の思想だけでなく、信仰や霊性までをも形にしたものである。そう実感しました。「場」の力に、大きく助けられたアシュラムでした。「分かったかい?」。100年の時を超え、ヴォーリズの茶目っ気ある声が聞こえた気がしました。
JR近江八幡駅に戻ると、黄金色の時間は終わりました。
アシュラムで、自分がいかに「都会時間で慌ただしく」聖書を読んでいたか気づいたので、近江牛が牧草を反芻するように、なるべくゆっくり読み、祈り、また読み、祈るということを心がけています。時間に追われている人間に、御言葉が受肉し、霊性が養われるとは思えないのです。
大阪を「バビロン視」することもやめました。善し悪しで物を見ていると、どこかで裁く心が生まれ、自分の心を硬直させていることに気づいたのです。
心と霊が解放された1泊2日でした。
豊かな霊的資産を残してくれてありがとう、ヴォーリズ。リトリートに専念させてくれてありがとう、榎本家と教会の皆さん。何よりありがとう、解放者イエス・キリスト。
すべての栄光はキリストに!