苦しい時こそ余剰

 同僚が、仏教の「余剰」という概念を教えてくれました。
 
 熱心な信徒ではなさそうなので、どこかからの受け売りだとは思いますが、彼の解説によると①人間の欲望には切りがない(=貯金が100万円ある人は1000万円あればと思い、1000万円あれば1億円ほしいと思う)。しかし一線を越えた欲望は執着になる②だから「自分にはミニマムがあれば良い」と考え、余剰分は人様に投資するのが正しい(同僚は投資という言葉を使いましたが、「お布施」の方が近いようです)。
 
 彼の言葉が記憶に残ったのは、似た考え方をするキリスト教徒がいたことを、同時期に知ったからでした。
 
 私は自分の必要を満たすだけのお金が必要なだけで、私の必要が終わるところから別の人のものが始まる--だからそのお金はその人のものになる(出典はこちら)。
 
 スタンレー・ジョーンズという、「クリスチャン・アシュラム」運動(詳しくはこちら)を始めた、アメリカのメソジスト派宣教師・神学者の言葉です。ジョーンズはインドに長くいたので、順番から言えば仏教思想が先にあって、彼に影響を与えたと考える方が自然かもしれません。
 
 聖書は言います。
 
 私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。(新約聖書「ローマ人への手紙」15章1節)
 
 今あなたがたのゆとりが彼らの不足を補うことは、いずれ彼らのゆとりがあなたがたの不足を補うことになり、そのようにして平等になるのです。(同「コリント人への手紙第二」8章14節)
 
 2024年からのウクライナ侵攻、2026年のイラン攻撃、円安などで物価がどんどん上がり、生活は苦しくなる一方です(デフレの時はデフレ批判をし、インフレの時はインフレ批判をし、円高の時は円高批判をし、円安の時は円安を批判する日本社会もどうかとは思うのですが。ついでに言うと、今の苦しさを和らげるために国債を発行する=未来から借金するのも如何なものかと思います)。
 
 私はミニマリストではありませんが、生活はなるべくシンプルに保ちたい主義者です。厳しい時こそみんなが少しずつ「余剰」を差し出し合って春を待つ--というのは間違った考えでしょうか?