父の涙

 北九州から鹿児島に転勤になったのは、2011年の9月末でした。次男は引っ越し前に、北九州の幼稚園で運動会を済ませていました。でも、鹿児島の幼稚園の運動会は10月で、本人は1週間足らずの練習で本番に臨むことになりました。
 
 運動会当日、次男の表情は冴えませんでした。24時間放送ラジオのようなお喋り君が、嘘のように寡黙でした。リラックスさせようとこちらがちょっかいを出しても、乗ってこない。
 
 1番目のプログラムは、旗を持っての踊りでした。立ち上がったり、しゃがんだりするのが、ほかの子よりワンテンポずれる=写真。どこに並んでいいか分からずウロウロする。それでも懸命に演技についていこうとする姿を見ていると、自然に涙が流れました。
 
 「ああ、コイツもコイツの〝戦場〟で戦っているんだな」と。
 
 運動会の日は、私にとっても、鹿児島で働き始めてから初めての休日でした。職場での責任は重くなった。仕事の難易度は上がった。しかし要領が分かず無駄弾を撃つばかり。人脈がない。土地勘がない。そんな自分と次男の孤軍奮闘が、等質に思えたのです。
 
 カメラを構える私と次男の距離は、ほんの数㍍。しかし、そこには大きな壁がありました。トラック内に入っていいのは園児と教諭だけ。声は届く距離なのに、声もかけられない。
 
 それでも何とかわが子にエールを送ろうと、次男が私を見つけやすい位置にわざと立って、写真を撮り続けました。「頑張れ、頑張れ、父さんはお前のことを見てるぞ。お前は一人じゃないぞ。お前が苦しい時は父さんも苦しいからな」。心の中でエールを送り続けました。そうしたら、レンズ越しに次男と目が合いました。次男に少し、笑顔が戻りました。
 
 10枚、20枚、写真を撮り続けました。運動会が終わったら、次男の好きなうどん屋か、回転寿司屋に連れて行こうと考えました。
 
 
 私たちクリスチャンは、神さまに「天の父なる神よ」などと呼びかけたりするのですが、この経験は私に、改めて神(父)とクリスチャン(子)の関係への理解を深めてくれました。
 

 
●天と地(人間世界)の私の間には大きな壁があって、神は敢えて直接介入しない
 
●それでも、神は自分の思いを伝えたいと、さまざまな方法を通して、間接的にメッセージを送る
 
●子は父のエールを受けながら、試練に勝利することができる
 
●地上での行いに対し、天では報いが用意されている