テレビをつけたら、エアコンの室外機について熱く語っている男性が映っていました。私は、何事においても徹底的に突き詰める人には好意を持ってしまう(そういう人にしか見えない世界についての話を聞くのは楽しい)ので、しばらく何とはなしにその番組を見ていました。その方の次は、マンホールの蓋について熱く語る人でした。私はつくづく思いました。
「人間は『空の器』ではいられない」
ここに1本のペットボトルがあったとします。容量は500ミリリットル。そこに砂を100、小石を100、ビーズを100ミリリットル入れたら、あとは200ミリリットルしか入りません。
人間は、何かに満たされたい生き物です。ゆえに人は、この「何も入っていない空間」に何かを入れます。ある人はマラソンやサイクリングを、ある人は芸能人や韓国ドラマの追っかけを、ある人は室外機、ある人はマンホールの蓋を入れます。誰しも「最も多くの時間と金と情熱を注ぐもの」を持っています。
何も入っていない空間は大きいほど、満たされる度合い=幸せ度も高くなります。この空間を大きくするには、二つの方法があります。一つは器を大きくすること、もう一つは砂や小石やビーズなど、余計なものを極力少なくすることです。
「あの人は器が大きい」なんて言ったりしますが、器を大きくするって一朝一夕に行かないじゃないですか。いや、努力はしていますけど、「自分はまだまだ小さいな」って思うことが本当に多くあります。
「酒と豚肉とパチンコと女」で、私がそれらに手を出さないことを書きましたが、理由の一つは、自分の器を大きくするのには時間がかかるので、器の中をシンプルに保って、何も入っていない空間を大きくしたいのです。シンプルは美しい、シンプルは力。
私を最も満たしてくれるものは、神との時間です。祈り、賛美歌を歌い、聖書やキリスト教関連の本を読み、学ぶ。一人でする時もありますが、信仰の友たちとする時もあります。賛美歌を歌って自分の心を神に注ぎ出している時は「この瞬間でさえこんなに満たされるのだから、天国で神を直接賛美する時はどれほどの喜びがあるのだろう」と思ってしまいます。
どんな店や施設に行っても、そうした喜びを味わうことはできません。だから私は、教会に行くのです。
あなたは「何も入っていない空間」に何を入れていますか? ペットボトルに余計なものは入っていませんか?