わが家の「本の殿堂」の最上段を占有しているのは、「グイン・サーガ」シリーズです。文庫本ですが、本編だけで130冊、外伝が23冊あるので、最上段だけでは収まり切らず、別の段にも進出しています。第50巻には、著者の直筆サインがあります。えへへ。
私が中学2年の1986年ごろだったと思うのですが、当時愛読していた雑誌「マイコン・ベーシック・マガジン」(この頃はパソコンと言わずにマイコンと言いました)に「ファンタジー通信」というコーナーがあり、確かその第1回で紹介されたのが「グイン」でした。その頃から作者が死去する2009年まで、私はグイン・サーガと共に成長してきました。聖書以外では最も親しんだ本で、新刊が出る度に、妻も子どももシャットアウトして、架空の世界への旅を楽しみました。
和製ヒロイック・ファンタジーの先駆けと言いましょうか、壮大な叙事詩と言いましょうか。記憶を失った豹頭の超戦士グイン(首から下は人間)や国を失った双生児、「いつか王に」との野望に燃える若者ら、数々のキャラクターが登場します。国同士の合戦あり、宮廷内での陰謀あり、恋あり、裏切りあり、おまけにSFもクトゥルー神話もあり。群像劇と言うよりは架空の歴史絵巻か大河ロマンと言った方が正確かもしれません。
何度も何度も読み直してきましたが、栗本薫の天性のストーリーテラーぶりには、本当に驚嘆させられます。われわれの知らないどこかに、本当にグインたちがいる世界が存在し、登場人物たちがそこにおり、本当に会話しているような錯覚を覚えます。描写力、というのともまた違う。トールキンは緻密に「中つ国」の世界を創り上げましたが、栗本薫は奔流のように言葉を紡ぎ、気がついたらグインの世界ができあがっていたという感じです。
私の長女は、小学生の頃からグイン・サーガを読める日を心待ちにし、中学に入って父がいよいよ解禁すると、むさぼるように読み、本稿執筆時点で5周目に入っています(全巻読破を4回した、という意味です)。
栗本薫の死後も、2人の著者によってグイン・サーガは書き継がれているのですが、私の中では栗本薫の死去によってこの終わらざる物語は「終わった」ので、続編は読んだことがありません。
余談ですが、グイン・サーガが50巻に達した際、東京のシアター・アプルで記念イベントが開かれたので、私も参加しました。この時、栗本薫に質問できる機会があったので勇ましく挙手しました。
グイン・サーガには「パロ」(国名)「サウル」(人名)など、聖書に登場する固有名詞が多く出てきているのですが、栗本薫はクリスチャンなのか、あるいは栗本薫と聖書の関係はどうなのか、という趣旨の質問をしました。栗本薫は「自分はクリスチャンではないが聖書はよく読んだ」と回答され、聖書の固有名詞中から国名や人名に使う単語を引用した、と話してくれました。
余談ですが栗本薫が亡くなった翌日の2009年5月27日は、私は編集職場にいて、夕刊社会面を作る手伝いをしていました。「栗本薫さん死去」の一報が流れた後、主任の先輩に頼んで見出しをつけさせてもらいました。「栗本薫さん死去/作家/「グイン・サーガ」126巻/56歳」とシンプルなものです(著者の死後も刊行は続きましたので、この時点では126巻でした)。
栗本薫には「メディア9」と、その実質的な続編である「レダ」という佳作もあります。SF小説、青春小説、教養小説として大変良くできた作品なので、「グインは長すぎて手に取るのに躊躇する」という人は、こちらからどうぞ。
(栗本薫、早川文庫)
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