アドルフに告ぐ

 初めて読んだのは中学生の頃でした。学校の図書室のカウンターに「はだしのゲン」と並んで置いてありました。今思えば、実にナイスな選書だと思います。
 
 主人公は、3人の「アドルフ」です。神戸在住のユダヤ人、アドルフ・カミル。その友人でドイツ人と日本人のハーフのアドルフ・カウフマン。そして言わずと知れたアドルフ・ヒトラー。日本人記者を狂言回しとしながら、第二次世界大戦前後の日本とドイツ、イスラエルを舞台に、2人の友情、恋愛、戦争、狂気、陰謀、復讐、親子の確執など、あらゆる要素を盛り込んで、壮大な物語が展開します。
 
 ハードカバーで4冊。油絵タッチの人物画の表紙。手塚治虫はそれまで何冊も読んでいましたし、テレビアニメでもお世話になっていましたので(一番古い記憶は「ぼくのそんごくう」。24時間テレビで放送された「海底超特急マリンエクスプレス」も忘れがたい)、それが手塚作品とのファーストコンタクトではなかったのですが、そのストーリー展開の巧みさと複雑に絡み合った人間関係に、中学生だった私は本当に衝撃を受けました。以来、何度読み返したことか。
 
 個人的には、手塚作品の最高傑作だと思います。手塚が登場人物に語らせる、メッセージがいいんですね。一部は現代でも通用します。
 
 「アホらしいと思わんか? 国籍はともかく民族や人種に偏見を持つなんて……」
 
 「だれが……だれがこんな戦争始めたんだろ……にくらしい!!」
 
 「日本中の人間が戦争で大事なものを失った……それでもなにかを期待してせい一杯生きてる人間てのはすばらしい」
 
 初見から随分経ってから、ハードカバーの文春版を購入しましたが(初版が1985年で、私が購入したのは第24刷・1989年版)、現在は手塚治虫文庫全集での購入が現実的かと思います。
 
 追記:国書刊行会から「完全復刻版」が出ました。2万円しますが……。
 
 名作の条件の一つは「何年経っても内容が色あせない」事だと常々考えているのですが、本作はまさにそのような作品です。手塚治虫は表現形式こそ活字ではなく漫画でしたが、やってきたことは文学者ですね。手塚は昭和の大文豪です。
 
 余談ですが、過日、知人の紹介でカナダ在住のカウフマンさんにお目にかかりました。「ルーツはドイツですか?」と尋ねたら、アシュケナジー(ドイツ・東欧系ユダヤ人)の子孫ということでした。アドルフ、という名前ではありませんでしたけど。カウフマンは「商人」という意味なんですって。
 
 兵庫県宝塚市の手塚治虫記念館では手塚作品が入館料だけで読めるそうなので、今度訪ねて、全集のうち、まだ読めていない作品をコンプリートしようと思っています。

(手塚治虫、文藝春秋)