私は硬い話、難しい話はウエルカムなのですが、雑談、軟らかい話、芸能に運動ネタはさっぱりです。そんな自分が嫌になった時期があって(笑)、普段買わないような「まんがでわかる超一流の雑談力」(安田正、前山三都里)を読んだこともあります。
相変わらず雑談はダメですが、この本から学んだことの一つは、「人に何かをしてほしいと思ったら、それが相手にとってどのようなメリットがあるかを示さなければならない」ということでした。経済学的に言えば「売り手発想でなく買い手発想で」となります。
本サイトの最大の目的は、一人でも多くの人にイエスを信じてもらうことなのですが、それはあくまで私の側の思いで、「超一流の~」風に視点を変えれば、「で、イエスを信じることによって私(本サイトの読者)にどんなメリットがあるの?」を提示しなければならない、という事になります。
メリットのあるなしで神を信じるというのはおかしな話ですが、まあ、せっかく学んだことなので、キリスト教を信じることによって何が得られるかをまとめてみようと思います。
過去の重荷から解放される
先日、1986年の英映画「ミッション」を見て、思わず膝を打ちました。
ロバート・デ・ニーロ演じる主人公は元奴隷商人で、決闘で弟を殺したことや、先住民を殺したり売り飛ばした事への罪意識がぬぐえず、いつも自らに、ロープで袋のようなものをくくりつけ、歩いています。袋のようなものの中には、金属製の、おそらくは鎧などがたくさん入っています。それが岩の間に引っかかって前に進めなかったり、重みで斜面から滑り落ちたり、挙げ句に崖から転落しそうになりますが、彼は決してそれを放り投げようとしません。あるいは、彼にはそれを手放すことができません。袋は、彼が自らに課した、一種のペナルティなのです。
崖の上にある先住民の村にたどり着いたとき、先住民の一人が、刃物を持って彼に近づきます。宣教師によってキリストの愛と許しを学んだゆえでしょう、先住民は彼を殺すのではなく、ロープを切り、袋を川に投げ落とします。この時、血の色のような水しぶきが川面から上がります。重荷から解き放たれた彼は、大声で泣き崩れます。そして心を入れ替え、「一人の新しい人」として先住民と共に暮らし始めます。この映画で最も感動的な場面の一つです。
私たちも、目には見えませんが、彼と同じように、重い荷物が入った袋を自分に結び付けて、日々歩んでいます。それは過去の過ちであったり、後悔であったり、人には言えない恥ずかしいことだったりします。
キリスト教を信じるメリットはいろいろあるでしょうが、私は、この「見えない過去の重荷」から解放されて、自由な、一人の新しい人として生きられることを、まず挙げたいと思うのです。みなさんの心は、いろんなものでがんじがらめになっていませんか?
思うように行かなくたって
2点目は「神の最善」を信じられるということです。
子供が与えられた時、所属教会の牧師が教えてくれました。「子供が何かねだったとき、親は三つのどれかしか言わない。『いいよ』『だめ』『待ちなさい』。神様も同じ」
子供が親に「飴が食べたい」とねだっても、それが虫歯を悪化させることになるなら「だめ」と言うでしょう。食事の妨げになるなら「ご飯を食べ終わるまで待ちなさい」と言うでしょう。子供が不満であっても、親は常に子供より広く深い射程で物事の善し悪しを判断し、何より子供にとっての最善を考えて判断します。表現を変えれば、「親のフィルターを通ったものしか子供には与えられない」ということになります。
私たちが神に祈る時、神は「いいよ」「だめ」「待ちなさい」のどれかしか言いません。祈りが通じれば、それは「いいよ」だったということです。叶えられないということは、「だめ」だったか「待ちなさい」だったということです。
「思うようには行かないもんだな」。CHAGE&ASKAの名曲「PRIDE」はこのような歌い出しなのですが、生きている限り、思うように行かないことって本当に多いじゃないですか。私は現在、単身赴任で関西で生活していますが、これなんて私の願いとは全く違ったものです。
でも、神さまのフィルターを通って私に転勤の辞令が届いた以上、私の目にはそうは映らなくても、それは「神の最善」なのです。10年、20年先まで見据えた辞令なのかもしれません。私には今でも納得できる理由は与えられていませんが、私が納得しようとしまいと、私はただ「神の最善」を信じたいと思います。
余談ですが、私、クリスチャンになる前は、自分の容姿にすごくコンプレックスがあったんです。父親譲りの大きな鼻。誰に似たのかタラコ唇(涙)。身長も169センチまでしか伸びませんでした。
でもある時気づいたんです。「神さまは『太郎にはこれが最善』と考えてこの容姿をお与えになったのだから、神の目にはこれがベスト」。その時以来、容姿に対するコンプレックスから解放されました。
死亡後保証保険
3点目は、何より大きなメリットですが「天国行きの切符」をもらえて、永遠の業火から逃れられることです。残念ですが、イエスを信じてその血で購われた人とそうでない人は、死後のコースが違います。それを信じるかどうかは皆さんにお任せしますが、コース変更ができるのは生きている間だけです。そういう意味では、どんな保険会社もカバーできない、最高の「死亡後保証保険」に入っているようなものです。しかもタダで。
ノアの方舟の話って、それを予型的に示したものだと思うんですよ。ノアが方舟を作っている間、人々は彼のことをあざ笑ったんですが、いざ雨が降り出すと、助かったのは方舟に入った一部の人だけでした。
みなさんはどちらの立場につきますか? 願わくば、こちらの側に来られんことを。