日本同盟基督教団・北九州聖書教会で短い間ながらご一緒した竹元紘牧師が主催する、ヨハネの黙示録のオンライン講座に出ました。6章1、2節から語られました。
また私は、子羊が七つの封印の一つを解くのを見た。そして、四つの生き物の一つが、雷のような声で「来なさい」と言うのを聞いた。
私は見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている者は弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得るために出て行った。
「白い馬」に乗っているのが誰かについては、再臨のキリストとする説など諸説ありますが、私は「反キリスト」説を採用しています。
理由は①「冠を与えられ」という言葉からは、白い馬の騎乗者より上位者がいることが伺える②この後展開されるのは天変地異や戦争や飢饉など数々の災いである③「勝利の上にさらに勝利」というのは、反キリストがキリストの再臨までは連戦連勝する様を指している--と考えるからです。
反キリストもまた、主キリストにとっては「不信者に対するさばきの道具」であり、冠は、真のさばき主キリストからいくばくかの力(権限)を当面の間だけ分与された象徴なのだと解釈しています。
ギリシャ語に挑む
講座が終わった後も「冠」という語句が頭に残っていました。竹元牧師が、聖書をギリシャ語で読み解いたうえで語ってくださった影響だと思うのですが、「このもやもやはギリシャ語で調べないと解けない」と思い至りました。
ギリシャ語で「冠」を表す語は二つありました。diademaとstephanosです(ギリシャ文字で表記しても読めないので英語表記にしておきます)。言葉が違うということは、意味やニュアンスが違うということです。
ギリシャ語聖書を検索すると、diademaが使われているのは3カ所、ヨハネの黙示録12章3節、13章1節、19章12節だけでした。あとはすべてstephanosでした。
12章3節では赤い竜(サタンのことです)、13章1節では海から上がってきた獣(反キリストのことです)、19章12節では再臨のキリストがそれぞれdiademaをかぶっています。サタンや反キリストは、再臨のキリストに取って変わって自分が世界の王になろうとしているので、模倣したのでしょう。
diademaとstephanosの違いは、「王が権威の象徴として自らかぶる冠」(diadema)か「上位者から忠実さや勝利の証として授けられる冠」(stephanos)か、だというのが私の得た知見です。
ちなみに、英語聖書はcrownだけのもの▽crownとdiademを区別しているもの(ESVやNAS)▽crownとwreath(stephanosに該当)を区別しているもの(WNT=Weymouth New Testament訳。今まで知らなかった)--がありました。
私が愛用している新改訳は第3版まで12章3節と13章1節のdiademaを「冠」と表記していましたが、2017版になって「王冠」と表現を改善させていました(stephanosは「冠」のまま)。これも発見。
「冠」にもいろいろある
最後に、stephanosについての考察をまとめておきます。派生形のstephanooを含め、新約聖書には21回登場します。それを分類すると……
①イエスが十字架刑に際してかぶせられた茨の冠
②信者が地上生涯の報償として受ける朽ちない冠、いのちの冠、栄光の冠、喜びと誇りの冠、いのちの冠(コリント人への手紙第一9章25節など)
③信者をたたえる比喩としての冠(ピリピ4章1節など)
④イエスが昇天後に父なる神から授かった栄光と誉れの冠(ヘブル2章7、9節)
⑤24人の長老がかぶる金の冠(黙示録4章4、10節)
⑥反キリストが与えられた冠(6章2節)
⑦不信者を苦しめる「いなご」がかぶる冠のようなもの(9章7節)
⑧イスラエルの象徴として示される冠(12章1節)
⑨再臨直前のキリストがかぶっている冠(14章14節、④と同じか?)
イエスは地上において①茨の冠を強制されましたが(さぞ痛かったことでしょう。余談ですが部落解放同盟の荊冠旗はこれに由来します)、天上において④栄光と誉れの冠を授かりました。
私たち信者も地上において苦しみの多い人生を避けることはできませんが、その分だけ②が大きくなると信じて歩みたいですね。