「タダより高いものはない」と言うけれど

 スポーツ用品店に行った際「無料で足型測定します。時間もかかりませんよ」と言われたので、やってもらいました。  
 
 結果が印刷された後、その紙を見ながら「左右のバランスが悪い」だの「偏平足ぎみ」だと言われて、中敷き(インソール)の購入を勧められました。
 
 「では一つ」と言いいかけて、踏みとどまりました。供給者の論理に気付いたからです。
 
 供給者=店側からすれば、少しでも売り上げを伸ばしたい。でも、ストレートに「中敷きを買って」と言っても、受給者=客は簡単に財布の紐を緩めない。そこで科学的データを挙げてどこが悪いかを示せば、客は進んで財布を開くだろう。無料測定はそのための〝餌〟である--そういう考えが透けて見えたのです。勘繰りすぎかもしれませんが。
 
 「やれやれ、タダより高いものはないとはよく言ったもんだ」と、内心一人ごちたのでした。

とは言うものの…

 でもね、世の中には「タダだから絶対に受け取っておくべきだ」というものもあると思うんです。
 
 イエス・キリストの福音がそれです。
 
 クリスチャンになるとはどういうことかというと、イエス・キリストが私の罪の身代わりとなって十字架で死に、葬られ、3日後に復活した--これを福音と言います--ということを、「ただただ信じて受け取る」ということです。
 
 信じるための条件は一つもありません。これまでどんな良いこと/悪さをしたかも、社会的地位も、貯金の多寡も、なーんにも関係なし。ただあなたの前に置かれたイエスの福音を、受け取るかどうか。
 
 無料です。お得です。受け取ったからといって、後から高額な請求書が来ることもありません。
 
 受け取るとどうなるか。死んだ後のコースが変わります。これについては、別の機会に詳しく説明したいと思います。
 
 死んだ後に「タダなのに受け取らなかったことがこんな高くつくものはなかった」と悔やんでも後の祭り。この機会にぜひ、イエスを受け取ってみませんか。