それは2018年10月29日のことでした。
いつものように、通勤で地下鉄に乗りました。始発駅からなので、車内はガラガラです。
私の向かいに、家族連れが座りました。若い夫婦と3人の子供。上から女・男・女で、一番下の子が2歳ぐらいでしょうか。その子は私と目が合った瞬間、最高の笑顔で「こんにちは!」と言ってくれました。
鉄仮面と揶揄されるほど表情に乏しい私ですが、可能な限りの笑顔をお返ししました。
しばらくすると、その子が自分のリュックから何かを取り出し、耳に当て、私を笑顔でじーっと見つめるのです。どうやら、持っているのはおもちゃのスマホのようです。
その時、確かに私の頭の中で着信音が鳴りました。リュックから慌ててスマホを取り出し、スワイプして、自分の耳に当てました。
女の子は大喜びです。他のご家族は苦笑しています。地下鉄は環境音がうるさいので声は聞こえませんが、女の子は何かを喋っています。こちらもアドリブで「うん」だの「へえ」だの「そう」だの。お互いの心は無線でつながり、声なき声が互いを行き来していました。
このご家族は1駅目で下車されましたが、見送る私の心の中にはずっと涼風が吹いていました。
神との対話
皆さんも一度や二度は、神さまに祈られたことがあると思います。
クリスチャンである私にとって、祈りは極めて日常的な行為です。私にとって祈りとは「上位者である神との声なき対話」です。
「苦しい時の神頼み」はもちろんありますが、対話ですから、一方通行ではありません。上位者へのアップロードと上位者からのダウンロードがあります。
アップロードで一番多いのはお願いごとでしょうか。相談も多いです。答が出ないこと、どちらを選んでも正解なことってあるじゃないですか。私は今、新しい暖房器具と照明を買おうか思案しているのですが、買うことにイマイチ平安がないので、神様に意見を伺っています。賛美や神の栄光をたたえることもアップロードです。
ダウンロードは、祈りに対する回答であるとか、将来に関するビジョンであるとか、仕事上の問題を含めたさまざまな導きです。なかなか言葉で説明するのが難しいんですが、促しを感じてある店に行ってみると、古い友人に会えたということがありました。神を知らない人はこれを「虫の知らせ」とか「ラッキー」と表現するんですが。
日本が打ち上げたGPS用衛星って「みちびき」って名付けられていますよね。私たちクリスチャンは、日々天のGPS衛星と交信して導きを求めています。衛星からの電波が微弱なため、違う電波を誤受信してしまったり、こちらの感度が鈍くて気付かないこともしばしばあるのですが。