日本人って、「神」という語を非常に気安く使いますよね。「神ってる」とか「神対応」とか。先日なんて、ビールのCMで「神泡」なんて言葉も見ました。
この点、ユダヤ人なんて対極的ですよ。律法で「神、主の名をみだりに唱えてはいけない」と命じられていますから。
聖書の神には「ヤハウエ」(YHWH)という名前があるのですが、この規則があるので、ユダヤ人はわざわざ「アドナイ」と読み替えます。「東京」と書いて「おおさか」とルビを振るようなもんです。
ユダヤ人クリスチャンの講演を聞いたことがあるのですが、資料では「God」がわざわざ「G-d」と書き換えられていました。徹底しています。ユダヤ人クリスチャンが、ネット空間にあふれる日本語を読めたら、きっとOh, my G-d!でしょう。
その講演でもう一つ面白かったのは、その方がクリスチャンになる前には、人間には2種類しかいないと考えていたことでした。つまり「us」と「them」です。usというのは自分たちユダヤ人、themというのはそれ以外の人々=異邦人です。ちなみに、ユダヤ人がイエスを信じるということは、家族関係の断絶や村八分を覚悟しなければならないぐらい大変なことだそうです。
日本人も彼らから見れば異邦人です。異邦人であるということは、律法の適用対象外ということです。だから私はG-dと書いたりはしません。でも、新聞を読む時、ユダヤ人の気持ちが少し分かる時があります。
新聞の見出しって、新聞業界の人間が言うのも何ですが、安易なところがあるんですよ。
一番はあれですね、ドラフト1位で入団した高校生投手がボコスカに打たれた翌日の見出し。「●●にプロの洗礼」のような。いや、洗礼っていうのはですね、自分で信仰決心して水の中に入っていくものであって、水を浴びせられる(ようにヒットを何本も打たれる)もんじゃないんですよ。
こういう見出しも私の神経を逆なでします。たとえば、難病治療に向けた研究の動物実験が成功した時。「●●病患者に福音」。いやいや福音っていうのはですね、神が人となってこの地上に来られて、私たちの代わりに十字架にかかって永遠の命を与えてくださったという、途方もないスケールのことなんですよ。「●●病治療に光明」じゃだめですかね?
さらにOh, my G-d! なのは「三位一体の●●」です。小泉政権の頃、地方制度改革のことを「三位一体の改革」と呼んでいました。いやいやいや三位一体というのはですね、何かを三つ一まとめにするといった意味じゃなくて、神という方は御一人であるのに、父なる神(第1位格)、子なる神(第2位格)、聖霊なる神(第3位格)という異なる三つの位格が存在し、かつそれが同時に存在するという、われわれの頭脳ではちょっと理解できないような意味なんですよ。
「聖地」。この語もスルーできません。甲子園は球児の聖地であるとか、どこそこはアニメファンの聖地であるとか。いやいやいやいや聖地というのはですね、かつて受肉した神(=イエス・キリスト)がその命を捧げた場所、つまりエルサレムであって、エルサレムはいつかメシアが再び来られるというとんでもない場所なんですよ。「球児の夢舞台」とか「アニメファン垂涎の地」じゃだめですか???
決定的なのはこれです。「●●に救世主」。日本シリーズでチームを窮地から救った人とか、ワールドカップでファインセーブを連発したGKなどの記事で時々見かけます。いやいやいやいやいや救世主っていうのはですね、文字通り、過去から未来まで、全世界の人を救うために来られた方(=イエス・キリスト)のことであって、スポーツの1試合を救ったぐらいの人じゃないんですよ。
ぜーはーぜーはー。つい力が入ってしまいました。
もともと「神」には、唯一神、天地万物の創造主という、聖書の神を指すような意味はなく、超自然的なもの全般を指す言葉だったようです。アメリカ系の宣教師たちが聖書を翻訳する際、「神」という漢字を当てたようです。
カトリックは、当初「天主」という漢字を当てました。長崎にある世界遺産・浦上天主堂=写真=が有名ですね。イギリス系の宣教師たちは「上帝」という漢字を主張したそうです。
個人的には「天主」はともかく「上帝」にならなくて良かったと思います。イギリス人作家アーサー・C・クラークの名作SF「幼年期の終わり」に、まさに「上帝」(ルビは「オーバーロード」)が登場するのですが、その姿が……アレなんです(ネタバレになるので言えません)。知りたい方は、どうぞお読みください。私はハヤカワ育ちなので故・福島正実の名訳で読みましたが、光文社から新訳が出ました。光文社版でも「上帝」なんでしょうかね?
追記:光文社古典新訳版、読みました。上帝ではなく、「オーヴァーロード」と表記されていました。途方もないスケールのラストシーンは、何回読んでも圧倒されます。