ライオン・キング

 高2の次男が、音楽の授業でミュージカルを演じることになりました。演目は「ライオン・キング」でした。折よくテレビで映画(2019年公開のCG版)を放送していました。
 
 王の子であるライオンが、王弟の策略により王国を追われ、流浪先で成長し、国に戻って王弟を倒すというのが筋です。観ながら思いました。「これは典型的な貴種流離譚だな」
 
 貴種流離譚は洋の東西を問わず語られてきたので、すべてに共通する定義はありませんが、基本的な説話型は、高貴な人が故郷を追われ/離れ、身分が低い状態で放浪し、苦難の末に故郷で栄光を取り戻す物語です。
 
 日本では「竹取物語」が一番近いでしょうか。「源氏物語」の須磨・明石の巻なんかは典型例ですし、私の大好きな「グイン・サーガ」もそう。韓国ドラマだと「花郎(ファラン)」、西洋では「オデュッセイア」から「みにくいアヒルの子」までいろいろあります。
 
 われらがジーザス・クライスト・スーパースターの生涯も、貴種流離譚です。ご身分は神ですから、これ以上にない貴種です。自らの意思で天を離れ、低い身分(人間)になられました。3年半の公生涯は放浪の連続。最後は十字架刑という苦難に遭われ、復活の後、栄光の雲に包まれて天に昇られました。
 
 違う角度から読むこともできます。
 
 イエスはユダヤ人の王として来られたのに、当時のユダヤ人はそれを認めず彼を追放しました。今、復活のイエスが巡っているのは(本人ではなく信仰の対象という意味ですが)、非ユダヤ=異邦世界です。
 
 この視点で言えば、イエスはまだ帰還していません。そう、ユダヤ人を含む全世界が再臨のイエスを受け入れる時が凱旋になる訳です。
 
 イエスは初臨時、受難の小羊、真の預言者として世に来られました。今は天にあって大祭司の務めを果たしています。再臨時は、ユダ族の獅子(創世記49章9節、黙示録5章5節)、栄光の王として来られます。
 
 そう。真のライオン・キングとは実にジーザス・クライスト・スーパースターのことなのです。