こういう言い方は傲慢に聞こえるかもしれませんが、クリスチャンになって20年以上経過しているので、クリスマス・メッセージに新味を求めるのが非常に困難になっています。
イエスは馬小屋で生まれた(本当は違うんですが)……これは私たちの、罪で汚れた心を象徴している--そうですね。
マリヤは神の言葉を疑わずにただ信じた……信仰者にはそのような姿勢が重要である--アーメン!
ヨセフは聖霊によってみごもったマリヤを去らせず妻として迎えた……信仰者として同じように神に従順であろう--なるふぉど。
等々、クリスマス・メッセージはあらゆる切り口で語り尽くされているので、「似たような話を以前どこかの教会で聞いたなあ……」という事になる訳です。
過日、家族で、少し遅いクリスマスを祝いました。
妻が料理に腕を振るい、私は家族の20年の歩みをスライドショーにして流したり、クイズ大会に知恵をしぼったり。子供たちも、それなりに楽しそうでした。
もちろん、祈りと賛美で始まり、祈りと賛美で終え、間には私のメッセージも挟みました。中川健一師の動画「3分でわかる聖書」を真似して、3分間で、しかもぶっつけ本番で語ってみました。以下はそれを再録したものです。ほぼ一字一句、この通り語りました。さて、新味のある話になっているでしょうか?
まず聖書を開きましょう。
まず列王記第一19:16から。「アベル・メホラ出身のシャファテの子エリシャに油を注いで、あなたに代わる預言者とせよ」
次にⅠサムエル16:12です。「主は仰せられた。『さあ、この者に油を注げ。この者がそれ(※筆者注:王になる者)だ。』サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。 主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った」
最後に出エジプト28:41です。「これらをあなたの兄弟アロン、および彼とともにいるその子らに着せ、彼らに油をそそぎ、彼らを祭司職に任命し、彼らを聖別して祭司としてわたしに仕えさせよ」
ピッ。ここから計測開始です。
イエス・キリストは、イエスが名前=一郎、キリストが姓=山田、ではありません。この時代のユダヤ人は姓がなく名前しかありませんでした。
キリストは肩書きです。ギリシャ語です。これがヘブライ語になるとメシアになります。メシアは「油注がれた者」という意味です。
先ほど聖書を見たように、旧約時代、任命に当たって油を注がれる三つの職業がありました。預言者、王、祭司です。イエスはメシアとして、この三つを一人で兼ねていました。
預言者とは「神の言葉を伝え、神の意志を宣言する者」です。
王とは「神の代理者として地上と神の民を統治する者」です。
祭司とは「神と人の間に立って取りなす、特に罪のための犠牲を捧げる者」です。
イエスは地にあって父なる神の御旨を伝えました。天にあっては、信者に聖霊を注ぎ、信者と聖書を通して神の言葉を全世界に伝えています。
イエスは地にあって、イスラエルの王として世界を統べるはずでしたが、ユダヤ人がこれを拒否したので、これは再臨の時まで持ち越されました。千年王国はまだ到来していません。天にあっては、全世界を主権者として支配しておられます。「HistoryとはHis Storyである」と言われますが、このHisはもちろんイエスのことです。
イエスは地にあって、あがないの小羊として自らを捧げました。天においては大祭司として私たちのために日々取りなしています。
同様に、教会にも預言者、王、祭司の側面がありますが、時間の都合で省きます。
さらに同様に、私たちクリスチャンにも預言者、王、祭司の側面があります。
私たちは預言者として、神の言葉を隣人に伝えなければなりません。
王として、自分の家族や自分自身を、神の代理者として正しく統治しなければなりません。
祭司として、友人や家族のことを取りなして祈り、また賛美や自分自身を捧げなければなりません。
私たちは「リトル・クライスト」です。イエスが地上で預言者、王、祭司の務めを全うしたように、私たちも自分に与えられた責務を果たしていきたいですね。アーメン?
ピッ。ここまで3分50秒でした。子供たちは、父が3分で語り切れるかが気になったようで、どこまでこの話が伝わったかは疑問です。