高1に語るマタイの福音書10

律法の完成者

(5章17~20節)

中心聖句

 わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。(17節)

解説

 17節から主語が「わたし」=イエスに変わります。17節の「律法や預言者」は旧約聖書のことです。律法には613の命令があるとされますが、そのエッセンスは①黄金律②神への愛③隣人愛--です(マタイ7章12節、22章36~40節)。イエスは語ります。わたしはその完成者として地上に来た、と。18節は、別の表現で17節を強調しています。
 
 成就、完成とはどういう意味でしょうか。イエスの十字架によって、律法の時代のディスペンセーションは終了し、恵みの時代へと移りました(エレミヤ31章31~34節、エゼキエル36章25~27節)。結果、律法の精神も地球規模で、異邦人にも広がりました。これが「完成」の姿です。
 
 19節は飛ばして20節。イエスは続けます。あなたがた(聴衆)は、(当時の支配層であった)律法学者やパリサイ人の教え(口伝律法)を正しいと信じ、ユダヤ人だから、律法を守り行っているから天の御国(=再臨のメシアによって地上に打ち立てられる千年王国)に入れると思っているだろうが、そうではない。わたしをメシアと信じる以外に道はない、と。当時の人にとって、これは驚天動地の教えでした。

適用

 20節で天の御国、千年王国に入るための条件、基準が示されました。19節を読むと、御国は身分差や階級差のない共産主義的平等社会ではないことが分かります。むしろ逆で、再臨のメシアを頂点としたヒエラルキー社会です。あなたは御国で最も小さい者と呼ばれたいですか。偉大な者と呼ばれたいですか。偉大な者と呼ばれたいなら、旧新約聖書に記された神の教えを忠実に守り、またそれを人に伝えていきましょう。