高1に語るマタイの福音書12

「ドヤ」ではなく、こうや

(6章1~8節)

中心聖句

 あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。(6節)

解説

 1~4節は施し、5~8節は祈りについてイエスが説明していますが、構造は同じです。偽善者の例を挙げた後、「あなたがたは同じようにしてはいけないよ」と。
 
 問題は動機です。偽善者たちが施しや祈りをする時、根底には「注目を集めたい」との思いがあります。ドヤ顔をしている彼らの姿が目に浮かぶようです。
 
 イエスは言います。右手で施しをする時は、それを左手に知られないぐらいにさりげなく。誰かのために祈る時も、奥まった部屋で。イエスの勧める「こうやるんや」は、耳を澄ませないと聞こえないぐらい控えめなものです。

適用

 謙遜の心、砕かれた魂は、聖書が絶対的に求めている基準の一つです。先日亡くなった小嶺忠敏さん(元・国見高校サッカー部総監督)は「謙虚であれ」が口癖で、それをメールアドレスにしている教え子もいたほどですが、ノンクリスチャンの人からも認めてもらえるぐらい、謙虚に生きたいものですね。