権威・命令と懇願
(8章)
中心聖句
イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた。「まことに、あなたがたに言います。わたしはイスラエルのうちのだれにも、これほどの信仰を見たことがありません。(10節)
解説
息子の大学卒業までに終えられそうにないので(笑)、ペースを上げて1回1章にします。
8章は①ツァラアト患者の癒やし②ローマの百人隊長のしもべの癒やし③ペテロの姑の癒やし④悪霊追い出しと病気の癒やし⑤二人の弟子志願者⑥嵐を沈めるイエス⑦「ガダラの豚」のエピソード--とてんこ盛りです。特に②と⑦に注目します。
②はイエスの元に百人隊長が来て、半身不随になった奴隷の癒やしを求めます。イエスは「あなたの家に行こう」と言うのですが、隊長は「言葉を頂くだけで十分です」と答えます。イエスは隊長の理解と信仰の深さに感心します。
⑦はイエスがガダラ人の地で悪霊憑きの人と出会い、その悪霊を豚の中に追い出したところ、豚が湖になだれこんで死んだので、町の人たちがイエスに町を去るよう懇願した、というものです。
②と⑦の共通点を挙げます。百人隊長もガダラ人も、異邦人(=非ユダヤ人)です。隊長も悪霊(に憑かれた人)も、イエスがメシア=真の権威者であり、その命令には力があることを知っています。だからこそイエスに懇願します。隊長は奴隷の癒やしを、悪霊は「追い出すならゲヘナ(地獄)でなく豚の中に」と。
百人隊長は、イエスが「行って治そう」とまで言ったのに、「(汚れた異邦人である自分の家に)迎える資格はないので言葉だけで十分」と言いました。ガダラの人たちは目の前にメシアが来て奇跡を見せたのに「出ていってくれ」。これが相違点です。
適用
二つのエピソードは、同じ異邦人である私たちに、同じ問いを突きつけます。「あなたの力が必要です」か「出ていってくれ」か。後者の運命は悲惨です。行き着く先は悪霊が「まだ行きたくない」と必死に避けようとした場所です。へりくだって、「あなたをお迎えする資格などない私ですが、あなたにおすがりします」と祈ろうではありませんか。既にイエスをメシアとして受け入れている方は、イエスに感心してもらえるような信仰を見てもらいたいものですね。