悪役登場
(9章)
中心聖句
しかし、パリサイ人たちは、「彼は悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ」と言った。(34節)
解説
9章も①中風の人の癒やし②取税人マタイの召命③断食論争④会堂司の娘の蘇生⑤長血患いの女の癒やし⑥盲人の癒やし⑦悪霊の追い出し⑧羊飼いのいない羊への憐れみ--と、これまたてんこ盛りです。
目立った書き方をされていないのですが、敵対的な律法学者とパリサイ人が登場し(映画で言えば悪役)、イエスとの緊張関係が高まっていきます(そのピークが十字架)。8章以降、イエスの活躍と影響力が広がったために、それまで「インフルエンサー」だった人たちが、あれこれ議論や難癖を吹っかけている訳です。34節などは中傷もいいところです。
適用
このことは二つのことを教えます。イエスに対しては、一方にその慈悲と力にすがる人がいて、一方に敵対する人がいます。われわれはどちらかしか選べません(無視する、無関心でいる、は決して前者に属する行為ではありません)。あなたはどちらを選びますか?
前者を選んだ人はもう一つ問われます。「あなたの周囲で摩擦は起きていますか? 火花は飛んでいますか?」。周囲との軋轢を勧めているのではありません。イエスに忠実に従おうとするなら、「世」から敵対的な人が必ず現れ、望むと望まざるとに関わらず緊張関係が生じるのです。否、そのような場面に遭遇していないなら、「自分の信仰は生ぬるいのかも」と自問自答した方がいいかもしれません。