子犬だって必死
(15章)
中心聖句
しかし、彼女は言った。「主よ、そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます」(27節)
解説
①きよめに関する論争(1~20節)②カナン人の女の娘の癒やし(21~28節)③4000人の給食(29~39節)--から成ります。
①と②で対比的な姿が描かれます。律法、旧約聖書に精通しているはずのパリサイ人と律法学者(=当時のユダヤ人指導者層)は、あろうことか旧約聖書が預言したメシアに向かって「自分たちの主張の方が正しい」と言ってのけます。イエスの神性を完全否定しているのと同じです。
カナン人の女は異邦人(=非ユダヤ人)です。にもかかわらずイエスに「ダビデの子よ。私をあわれんでください」とすがりつきます。「ダビデの子」はメシアの別称、つまりイエスを神と認めています。イエスに試されても彼女の本気の信仰はゆるぎませんでした。
前章の「5000人の給食」がユダヤ人への奇跡だったのに対し、4000人の給食は異邦人に対するものです。
適用
①でイエスは、パリサイ人と律法学者のことを「わたしの天の父が植えなかった木」「盲人を案内する盲人」であり、彼らに「すべて根こそぎにされる」「二人とも穴に落ちる」と苛烈な表現を使っています。彼らと、彼らを疑いもせずについていった同胞も墓穴に落ちる、つまり地獄行きだと言う訳です。これは西暦70年のユダヤ滅亡という形で実現しました。
その後、福音は現在に至るまで異邦人世界に広がっている訳ですが、②と③は、それを予表しているようです。
あなたは、どちらの後をついていきますか。できれば、カナン人の女のように「あなたの信仰は立派です」と神から讃えられるか、食事を終えた異邦人のように「人々はみな、食べて満腹した」(=神の御ことばに満たされた)人生を歩みたいですね。