高3に語るマタイの福音書35

へりくだりの道

(18章)

中心聖句

 まことに、あなたがたに言います。向きを変えて子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入れません。(3節)
 
 このように、この小さい者たちの一人が滅びることは、天におられるあなたがたの父のみこころではありません。(14節)

解説

 天の御国で一番偉い者(1~5節)▽小さい者をつまずかせる者は死罪相当(6~14節)▽兄弟の罪と許し①(15~34節)▽同②7回の70倍許せ(21~35節)--に分けられます。
 
 2、4、5節の子どもは、イエスが弟子たちへの「視覚教材」として手元に呼び寄せた具体的な(顔のある)子ども。3節は「子どもたち」と複数形になっているので、一般的な意味での小人・小児を表します。
 
 6節は「小さい者たちの一人」と少し変化して、子どもであることを伺わせますが、更に幅広い意味を持たせているようです(英語聖書でもchild / childrenからone of these little onesという表現になっています)。
 
 小さい者とはどんな人なのか。身体の大小や年齢を指しているとは思えません。全面的に親(=天の父なる神)を信頼している人、心の素直な人、自らへりくだる人--と言えます。
 
 イエスこそ小さい者の鑑です。神であられる方が赤子としてこの地上にこられ、人の弱さを抱えたまま成長し、人々の罪の犠牲ために自らを捧げたのですから。

適用

 裏返せば、神より自らを頼みとする人、心の頑なな人、自らを誇る人は、「大きな者」と言えます。
 
 神がどちらの人をお喜びになり、受け入れられるか、説明するまでもないでしょう。父なる神の御心は小さい者が救いに与ることであり、大きな者は自らの選択の結果として滅びに向かいます。
 
 非信者の人は3節にある通り、向きを変えて(あるいは悔い改めて)イエスの十字架を受け入れましょう。信者の人は、自らの中に「大きな人の要素」がないか常に吟味し、聖霊なる神に示して頂き、イエスに倣ってへりくだりの道を歩み続けましょう。私もその途上の一人です。