大1に語るマタイの福音書36

それでは

(19章)

中心聖句

 彼ら(※パリサイ人たち)はイエスに言った。「それでは、なぜモーセは離縁状を渡して妻を離縁せよと命じたのですか」(7節)
 
 弟子たちはこれを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう」(25節)

解説

 ①離婚論争(3~12節)②金持ちの救い(16~30節)--の二つの柱から成ります。それ以外は挿入句のようなものです。①と②は無関係に見えますが①誰かがイエスに問う②イエスが答える③その内容が受け入れがたかったので、質問者や弟子が「それでは」と問い返す--点で共通性があります。

適用

 これに限らず、イエスの主張、聖書の教えには、人間の思考の枠外にあるもの、非常識と思われるもの、受け入れがたいものが多々あります。神が人の手で十字架にかけられて死ぬなど、最たるものでしょう。
 
 人間が神のすべてを理解することは不可能です。そこで「それでは一体……」と問い返すのか、「分かりました、主よ。私の理解の及ぶ所ではありませんが、仰せを受け入れます」と受容するのか。あなたはどのような態度を取りますか。