さらばユダヤの民
(23章)
中心聖句
わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは人々の前で天の御国を閉ざしている。おまえたち自身も入らず、入ろうとしている人々も入らせない。(13節)
解説
イエスがユダヤの民に神の国の到来と悔い改めを語るのは、23章が最後です(24章以降はずっと弟子たちに語り、十字架に架けられる)。締めくくりに、指導者層であった律法学者とパリサイ人に直接語りかけますが、内容は「批判100%」でした。
「わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人」とイエスは7回繰り返します。聖書において「7」は完全数ですから、「お前たちは度しがたいほどに間違っている」と言っているのと同じです。その最たるものが、イエスをメシアとして受け入れなかったことです。39節によれば、ユダヤ人が完全に悔い改めるのは、イエス再臨の時です(と言うよりは、再臨の最後の条件が、ユダヤ人がイエスをメシアとして受け入れること)。
適用
律法学者、パリサイ人の罪を要約するなら、「指導者の責任を果たさず、民を誤った方向に導いた」に尽きます。指導者には指導者たるに相応しい見識と日々の努力、責任が求められるのです。彼らは、国家滅亡という形で、罪の報いを受けました。
イエスの時代も今も、導く側と導かれる側が存在することに変わりはありません。私個人を取っても、家庭では父・夫として、職場では中間管理職として、家族や同僚を導く立場です。神から厳しい叱責と罰を受けるのではなく、労いの言葉と働きの報酬を豊かに受ける者となるために、日々を積み重ねたいと願っています。