神の怒りの杯、過越の子羊の杯
(26章)
中心聖句
それからイエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈られた。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください」(39節)
また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です」(27、28節)
解説
①ユダヤ人支配層の密議②ナルドの香油③ユダの裏切り④過越の食事(最後の晩餐)⑤弟子たちの躓きの予告⑥ゲツセマネの祈り⑦イエスの拘束と不当裁判⑦ペテロのイエス否定--と、クライマックス(十字架)に向け、怒涛の展開です。
26章では意味の異なる2種類の「杯」に注目したいと思います。
イエスが父なる神に「過ぎ去らせてください」とゲツセマネで祈った杯は、人類の罪に対する「神の怒りの杯」(黙示録14章10節)であり、そこに注がれているのは「混ぜ物なき神の憤りのぶどう酒」(同)で、それを飲む者は「御使いたちと子羊の前で火と硫黄によって苦しめられる(=地獄行き)」というものです。
それに先立つ最後の晩餐で、イエスが弟子たちとすべての人に飲むように勧めた杯には、罪を赦すために流された子羊の契約の血が未来完了として注がれており、この血だけが神の憤りと裁きを過ぎ越させることができます。
適用
過越の子羊イエスの血を飲んだ者を信者、クリスチャン、キリスト教徒と言います。信者になったからと言っても、人生から苦難が消える訳ではありません。
イエスを「知らない」と3度否定し、復活のイエスによって赦されたペテロは、後日こうつづっています。
「むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。キリストの栄光が現れるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです」(Ⅰペテロの手紙4章13節)
非信者の方々よ、過越の子羊の杯に手を伸ばしましょう。
罪赦された神の家族たちよ、キリストの苦難の杯を恐れることなく掴みましょう。それは、更なる祝福の杯が与えられるためであり、キリストの再臨時、共に栄光の杯に与るためなのです。