トム・クルーズは大した俳優だと思います。「サイエントロジー」との関係は脇に置くとして、浮き沈みの激しい米映画業界において、30年以上主演を務めている俳優って、なかなか見当たりません。個人的には「カクテル」のフラナガン役が、輝き全開という感じで好きです。若い人には「ミッション・インポッシブル」シリーズの印象が強いでしょうか。
今回は「ミッション」の話です。
「仕事」を指す英語には、JobとWorkがあります。
「職業」になると、OccupationやProfessionやCareerやVocationを使います。
「あなたの住所、氏名、職業を書いてください」という場合はOccupationです。Professionは医師や弁護士など専門性の高い職業を指します。Careerには長期間積み重ねた仕事というニュアンスがあります。
Vocationは「天職」とも訳されます。VocalやVoiceと語源が同じで「声」に関係しています。誰の声かと言えば、神の声です。神さまから「これをしなさい」と声がかかって授かった仕事、というニュアンスでしょうか。では「これ」は何かというと、Missionになります。使命、ですね。
ミッション・インポッシブルは直訳すれば「遂行不可能な使命」ですが、神さまから与えられるのはミッション・ポッシブル、「遂行可能な使命」です。
神さまは全知全能な方です。ゆえに間違いがありません。「神さまから与えられた私たちの命」という前提に立つなら、神さまは100年前の日本でも、50年先の北欧でも、私たちを生まれさせる事ができました。でも神さまは、この現代日本に、私たちを誕生させた。
それは言い換えれば、この現代日本において、私たちが果たすべきミッションが用意されている、ということです。
クリスチャンであっても、それが何かをはっきりと知ることは難しいのですが、それは多くの場合、「仕事」を通して、かなりの時間を費やして、実現されていくものだと私は考えています。なぜなら、寝る以外のかなりの時間を、人は仕事に費やしているからです。
あるいはそれは、仕事のように対価をもらうものでなく、子育てをすることかもしれませんし、老いた親の介護かもしれません。自治会役員や青年海外協力隊員になることかもしれません。
思うに……
●あなたしかできないことである(親や子の代わりって、いませんよね)
●あなたはその方面に才能や適性や情熱を与えられている
(=それが苦にならない、時間を忘れることができる)
●あなたの専門性やキャリアを生かすことができる
●そこに社会的ニーズがある
●そこに対価を払う人がいる
が、選別のフィルターになるのではないかと思います。
ポイントは、発想の起点が「自分」ではないということ、「神」またはそこからぐっと下がって「社会」にあるという点です。「私は自分の価値を高めたいから資格を取る」「自分の地位をさらに上昇させたい」といった発想は、VocationやMissionとは相容れません。
イエスは言いました。「あんたが私を選んだのやない。私があんたを選んだんや。それはな、あんたが世の中に派遣されて実を結んで、その実が残るためや」(ヨハネの福音書15:16)
私は自分で決心してイエスを心を受け入れたのですが、神の目には、それ以前から私は既に選ばれていた、それは私が神から与えられた使命を通して何らかの「実」を結ぶためである、とイエスは言っています。
イエスが選んだのは私や特定の人だけでしょうか? いいえ。本当はすべての人が選ばれ、すべての人にミッションが与えられているのです。ただ神に背を向けて「自分起点」で考え、行動しているだけです。だから他人と比較しちゃうんですね。
あなたも、イエスに心を開いてみませんか? 「プロデュース:イエス・キリスト、主演:自分」の超大作映画が、そこから始まりますよ。