フォースの力を信じる……のか!?

 学生時代、手塚治虫の代表作「火の鳥」数冊を、先輩から譲り受けました。朝日ソノラマ版でした。1970年代、同社の「マンガ少年」という雑誌に連載されたものなのですが、近親相姦の場面があって、「手塚は子供向けの雑誌でここまで描くのか?」とうなったものです。
 
 ちなみに、わが家の「殿堂」には手塚作品が多く鎮座していますが、火の鳥は角川版が並んでいます。角川版は、作者によってかなり描き直されています。
 
 前回は異端の話でしたが、今回は「ニューエイジ(ムーブメント)」の話です。え? 火の鳥とどういう関係があるかって? それが大ありなんですよ。
 
 
 
 宗教は、正統であれ異端であれ、伝統であれ新興であれ①経典(キリスト教なら聖書)②体系化された教え③組織(教団や教会、聖職者、信者)--の三つを兼ね備えます(他にも色々要件はありますが)。
 
 これに対し、ニューエイジはこれらの要素を必須としません。「宗教の形を取らない宗教のようなもの」です。
 
 「宗教のようなもの」とは、ニューエイジが精神世界を扱っていることを意味します。経典は存在しない場合が多く、当然ながら体系化された教えもありません。あるのは創始者の自説だけで、それも(文書化されたものがない場合は特に)変わることがあります。活動団体は緩やかな組織であることが多いです。
 
 「宇宙意識とのつながり」とか「心と体の覚醒」とか「大いなる自己」とか「チャネリング」とか「交霊(または降霊)術」とか「前世からのカルマ」とか「自己啓発」とか「ポジティブ・シンキング」とか「波動」などの言葉を掲げる団体は、まずニューエイジかその影響下にあると考えていいと思います。
 
 ひところ江原啓之氏をアイコンとした「スピリチュアル・ブーム」というのがありましたが、あれもニューエイジの一形態です。
 
 共通しているのは、汎神論です。つまり、すべてが神となる。すべてが一つ。人間の意識も、すべての宗教も、自然も、宇宙も、何もかもが溶け合って神となる。東洋の神秘主義の影響が少なからずありますが、いろんな宗教・思想・哲学をごちゃ混ぜにした感じです。
 
 ニューエイジを一言で言うと、「ふわっとしている擬似宗教」です。問題点も「ふわっとしている」ことにあります。
 
 異端、カルト宗教って、明らかに「危ない」というのが分かるじゃないですか。先に挙げた三つの要素があるから、ふわっとしてないんです。
 
 でもニューエイジは、「ふわっとしている」から拒否反応が起きにくい。知らず知らずのうちに、ニューエイジ的な考え方がメディアを通じて心に浸透してくる。「スピリチュアル」が一時ブームになったのも、耳当たりのよい言葉が無防備な人々の心を捉えたからですよね。「●●を信ぜよ!」というような形の要求も、金銭の要求も、基本的にしません。失うものがないから人々が入りやすいんです。
 
 でも、その根底にあるものは、明らかにキリスト教が教える真理とは異なりますから、気付かないうちに人々を救いから遠ざけます。これが一番の問題なんです。ニューエイジは救済論の核となる「罪」と「裁き」については、まず言及しません。
 
 
 
 冒頭で火の鳥の話をしましたが、火の鳥はニューエイジの影響を受けた(あるいはニューエイジ的な考えを取り入れた)作品です。これは宗教学者の釈徹宗さんが指摘していました。火の鳥は、素粒子から銀河まで宇宙を構成する万物が一体となった「宇宙生命」(コスモゾーン)の化身なんですが、まさに汎神論でしょう?
 
 今思うと、中学生のころに読んだ「幻魔大戦」なんかも明らかにニューエイジの影響を受けた作品ですね。音楽の世界では、特に「イージーリスニング」と呼ばれるインストゥルメンタルの曲にニューエイジ的世界観で作られたものが少なからずありますし、大ヒットした「千の風になって」もベースにあるのは汎神論ですね。映画だと「スター・ウォーズ」にニューエイジ的な要素がふんだんに見られます。例えば主人公たちが使う超能力「フォース」って、銀河万物をあまねく包むエネルギーが源でしょう?
 
 でも、フォースを信じるぐらいなら、イェースを信じてほしいというのが、私の願いです。