ポストでモダンで成功した教会

 転勤の度に10カ所程度、出張や旅行の際は一期一会で、その地の教会を訪ねます。転勤後の場合は所属教会を探すためですが、それ以外にも(牧師でもないのに)私なりに「理想の教会像」「21世紀の日本の教会像」を模索しており、そのヒントを集めている面があるのだと思います。
 
 私は教会の信徒が多い=理想的な教会、成功した教会とは全く考えていません。年々信徒数が増えることが成功であるとも考えていません。どれだけ努力しても、信徒数が減ることだって(特に地方都市では)あるでしょう。
 
 そもそも「理想的な(OR成功した)教会」という前提が間違えているのかもしれません。「誰から見て理想的なのか」と問うた時、それは人の目ではなく神の目でなければならないからです。成功、不成功など世俗的な価値観です。
 
 それでもなお「理想的な教会像」の尺度を挙げるなら、
 ①信徒一人一人が、どれだけ牧師を介さずに神とつながっているか
 ②信徒一人一人が、日々どれだけ神からの取り扱いを受けているか
 ③信徒一人一人が、その人生において神の栄光をどれだけ表しているか(礼拝を含む)
 ④牧師が、①~③をどれだけサポートし、モデルを示せているか
 ⑤それらの根底に確たる聖書信仰があるか
 --になるでしょうか。
 
 
 
 ポストモダン化、という言葉があります。使われる文脈や論者によって定義がさまざまなのですが、私の理解では、例えば大家族制や親族のつながりが崩れて1人1台テレビや車や電話(スマホ)を持っていたりという個人化・砂粒化が進んだ社会▽例えば新聞5紙の論調ぐらいで最大公約数の民意がまとまっていたものが崩れてSNSのアカウントの数だけ意見が述べられるような社会▽例えば国民的歌手や国民的作家がいなくなってある特定の年代だけが熱烈に支持するようなアーティストが多数いるような社会--を指します。
 
 「大きなひとくくり」がなくなって「小さな集合体」がひしめく社会とでもいいましょうか。前者の代表がデパート、後者がインターネットモールの楽天市場と例えれば伝わりやすいかもしれません。
 
 教会が社会の縮図であるなら、赤ちゃんからお年寄りまで、サラリーマンも公務員も自営業も農林漁業も、あらゆる世代や職業を包括しているのが理想だと思います。しかし、21世紀も5分の1が経過した訳ですが、これだけポストモダン化が進んでしまうと、デパート型の教会は今後なかなか維持しにくいのではないかと思えてきます。
 
 そのような時代からこそ、人の目に映る物差しではなく、たとえ規模は小さくても、日々神の御心を求め、神の目に適う信仰深い教会を全員で築くことが(=牧師が一人で何もかも背負うのではなく)肝要だと思うのです。
 
 本質追求を徹底すれば、分かる人は分かって「私も加えてほしい」と言ってくるでしょうし、仮に何年も受洗者が現れなくても、神の目にはYou are Good!な訳ですから、後の報奨を楽しみにすれば良いと思います。
 
 
 
 あなたにとっての「理想の教会像」はどんなものですか?