「繁栄の神学」と言われる分野が、プロテスタントのペンテコステ派にあります。起源は米国です。
平たく言うと、イエス・キリストを信じれば、もうかりまっせ、健康でいられまっせ、あらゆる祝福が待ってまっせ、と説く神学(と言って良いのか)のことです。
自己啓発やポジティブ・シンキングや成功哲学と、それに適合する聖書の記述をミックスしたもの、と言えるでしょうか。
ある時、そちら系の教会と知らず、信徒たちの前で「祈っても病気が癒やされないことはある。すべては神の主権」と話したら、礼拝後に牧師が血相を変えて飛んできて、「この本を読んで」と。読みましたよ。「祈って祈って祈り尽くせば必ず癒やされる」という内容でした。
海外にあるその方の神学校について尋ねると、「左翼の革命家くずれが教授でした」。
説く方も降りられない
繁栄の神学は耳に心地よいし、心の奥底にある願望を満たします。重い病に苦しむ人が「何とか癒やされたい」とすがる気持ちも十分理解できます。
でも、現世における成功や健康が約束されるなら、信仰なんて必要ないじゃないですか。
苦しみの中にあるほど強い光を放つのが、まことの信仰ではないでしょうか。苦悩もまた(ない方がいいですけど)人生の大事な一部ですし、高貴さに至る道です。
繁栄の神学を説いている人も信じてる方もしんどいといますよ。語っている本人は経済的に成功しなきゃいけないし、いつも健康でいないといけないし、「祝福でいっぱい」を演じ続けないといけない。信じている方は、祈りが叶わない場合、「自分の祈りが足りないからだ」と自分を責めないといけないんですから。
あの牧師さん、「神の痛みの神学」(北森嘉蔵)とか読んでくれないかなあ。