わざわいはあなたに降りかからず…

 ある神学校の公開講座に参加した際、講師からこんなことを聞きました。
 
 「コロナ禍中、日本で最も読まれた聖書箇所は(旧約聖書)詩編91編である」
 
 はて、何が書いてあったっけ。手元の聖書を開き、納得しました。
 
 「暗闇に忍び寄る疫病も真昼に荒らす滅びをも。千人があなたの傍らに万人があなたの右に倒れてもそれはあなたには近づかない」(6、7節)
 
 「わざわいはあなたに降りかからず疫病もあなたの天幕に近づかない。主があなたのために御使いたちに命じてあなたのすべての道であなたを守られるからだ」(10、11節)
 
 コロナ禍はまさに疫病ですから、聖書のこの言葉に支えられた人が少なからずいたであろうことは、容易に想像できました。

病や災いに倒れても

 今から15年以上前、福岡で開かれたキリスト教の集会にしました。牧師さん(ペンテコステ系でした)は、上記詩編を引用して言いました。「この言葉を毎日唱えましょう。そうすれば天使(御使い)があなたとあなたの家族を守ってくれます」
 
 今よりずっと素直で心が綺麗だった私は、帰宅後早速10、11節を印刷して壁に張り、子どもたちと毎日のように唱えていました。
 
 でも、そうした習慣が根付くことはありませんでした。私は聖書を字義通りに(書いてある通りに素直に)解釈する福音派ですが、次のような考えが勝るようになったからです。
 
 ①詩編91編を唱える限り信者が見えないバリアーで囲まれ、無病息災でいられるなら、これほど分かりやすい御利益はない
 
 ②もしそうなら、世界はご利益を求める信者で満ちあふれるはずだが、なっていない
 
 ③無病息災を求める祈りは大事だし、詩編91編をそのまま信仰する姿は美しいが、すべての主権は主なる神にある。仮に病や災いに倒れても、神に焦点を合わせ続け、死に至るまで忠実であり続けることが、信仰ではないか

信仰か科学かの二者択一でなく

 2024年もあと10日というころ、熱が出ました。コロナもインフルエンザも陰性だったので、ウイルス性咽頭炎という診断がつきました。抗菌薬を飲んだため、ただでさえ弱いお腹もピーピー。
 
 隔離された部屋でウンウン言いながら、「神様、早く治してください!」と何度も祈りました。周囲のクリスチャンにも、お祈りをお願いしました。でも、なかなか熱が下がらない。
 
 3回目の検査でインフル陽性となりました。「これで治りますよ!」とドクター。イナビルという薬を吸入したところ、24時間後には平熱になりました。
 
 祈りより科学(医療)、と言いたいのではありません。科学で直せない病気も無数にあります。祈って癒やされなかったことも、無数にあります。
 
 話を単純化するため、人を4象限に分類します①神も科学も信じない②神を信じ科学は信じない③科学を信じ神は信じない④神を信じ科学の助けも得る。どれを選ぶかは人それぞれですが、無病息災の人生などあり得ない以上、④が最も堅固なセーフティーネットを得られると思います。
 
 発熱から2カ月後、52歳の誕生日を迎えました。前年同様、それまでの1年間、家族を含めて、大きな病気や事故に遭わず、おおむね大過なく過ごせた事を、心から感謝し、神の栄光を讃えました。