以下は「おうちクリスマス2021」で語ったものです。「誰も言わなさそうなことを言う」って結構大変なんですが、うとうとしてたら以下の内容が降ってきました。聖霊の働きだと思います(笑)。
メシアの受肉
聖書を開きましょう。ルカの福音書1章35節。
御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます」
クリスマスメッセージで度々引用される場面です。子なる神は、聖霊なる神の力によってマリヤの胎内、この地上に来られ、生まれて後イエスと名付けられた訳ですが、これは難しい表現をすると「メシアの受肉」になります。
このエピソードを現代に生きる我々はどう適用すべきでしょうか。二つ考えられます。
ヨハネの福音書1章1節を開きましょう。
初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
ことば=神です。現代人には、聖書こそが神のことば、神の本質を表すものです。ことば=イエスが聖霊によって受肉したように、聖書のことばが聖霊によってわれわれの内側、人生に受肉しなければなりません。
選びの一方性
もう一つは「神の選びの一方性」です。隣のマリコちゃんでも向かいのマリナちゃんでもなくどうしてマリヤが選ばれたのかについて、聖書は説明していません。これはアブラハムについてもペテロについても同様です。選びは常に一方的で、神と私の物語は突然始まるのです。
ヨハネの福音書15章16節を開きましょう。
あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。
数ある宗教の中から私たちがキリスト教を選んだように思ってしまいがちですが、逆です。私たちが一方的に神に選ばれた理由は分かりません。一つ言えるのは「実を結ぶため」です。
「実」とは何でしょうか? 「神の御計画を実現させること」と私は解釈したいと思います。
マリヤは神の御計画に従い、イエスを世に送り出しました。私たちが世に送り出すものも、御計画に沿ったものでなければいけません。そのためにも常に心を主に向け、聖書を開き、日々祈る者となりましょう。アーメン?