単身赴任のため、月2回は家族の元に帰ります。普段は電車と高速バスで片道5時間半(おえっ)、マイカーを使う場合は4時間半ぐらい。肉体的負担は、なかなかのものがあります。
マイカーの場合の一番の敵は睡魔です。わが家では睡魔は「ねむ吉」と呼ばれているのですが、ねむ吉が大量発生すると、車内でカラオケ大会が始まります。助手席の家族にスマホを操作してもらって、Youtubeでお気に入りの曲を交代で流し、絶唱します。こうでもしないと寝てしまう(笑)。
ある時、Youtubeでなく知人から借りたばかりのCDを流してもらったところ、1曲目がサイモン&ガーファンクルの1970年のヒット曲「明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)」でした。「Hymn(賛美歌)」という仮題がつけられていたことからも分かるように、キリスト教的な自己犠牲の愛が歌われています。
日本語訳を含む歌詞については、ここを参照してください。非常にスケールの大きい、オール・タイム・ベストな一曲だと思います。透明感あるアート・ガーファンクルの声がまた実に美しい。まさに芸術(アート)です。
この曲を知ったきっかけは、94年に放送されたドラマ「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」でした(オープニング曲はサイモン&ガーファンクルの「水曜の朝、午前三時」)。当時は大学4年。内定を得られないまま就職活動がほぼ終わり、時間を持て余していたので見たのでした。ドラマの最終回は、この曲でクライマックスに達します。秀逸なラストシーンでした。
就職が決まらないまま京都の大学を卒業し、再度就職活動をし、何とか今の会社に拾ってもらいました。仕事も決まったので、当時思いを寄せていた、私を教会に誘ってくれた年下のクリスチャンに告白をしたのですが、あえなくフラれたので(笑)、「未練がましいのは嫌だ」と初任地に宮崎か熊本を希望したら、宮崎に決まりました。
詳しい時期や理由は忘れましたが、宮崎に発つ前、たぶん95年の終わりか96年初頭、その女性に、彼らのベストCD「The Definitive Simon and Garfunkel」を贈りました。収録されている20曲中19曲目が「明日に架ける橋」。未練がましいのは嫌だとカッコをつけてはいたものの、彼女への愛がダダ漏れ(笑)。赤面の至りです。
こうした思い(未練?)が一通り精算されて(されたように思えて)、再び連絡を取るようになったのは97年の夏か秋だったでしょうか。そこから、お互い少しずつ正直になり、神に行く手を委ね、共に聖書を読み、祈るようになりました。その後、結婚にまで導かれたのは、神の恩寵という他ありません。憐れみ深い神は若くて未熟だった二人の間に橋をかけてくださったのです。ハレルヤ。結婚に伴って、あのCDも、私の所へ帰ってきました。
私たちの結婚生活も20年になろうとしています。その間、3人の子供を授かり、各地を転勤し、とまあ人並みに色々ありました。
車の中で「明日に架ける橋」を熱唱していると、愛とは自己犠牲であり、見返りを求めないものであり、この間、配偶者や子供たちにそのような愛を捧げる機会を与えられたことへの感謝や、何より究極の自己犠牲であるイエスの十字架への感謝が連鎖的に浮かんできて、涙が出てしまいました。