バス事件

 私はイライラしていました。
 
 バスが時刻表通りに来ないのは重々承知しています。それでも、遅すぎる。
 
 ようやく来たと思っても、何だか遅い。これじゃ予定の電車も、次の電車も逃すこと間違いなしだ……。
 
 信号待ちでバスが停車したタイミングで、最前列に立ちました。すると、信号が青になっているのにバスが発車しない。見れば、運転手さんがこっちに向かって何か話しています(イヤホンをしていた)。
 
 「急ブレーキをかけたら転倒するので座ってください!」
 
 内心、少しむっとしました。遅れに遅れて、少しでも早く降りたいから立ってるんじゃないか。でも努めて冷静に「しっかり手すり持ってますけどアカンのですか?」とだけ尋ねました。そうする間にもどんどん時間は過ぎていきます。同じことを繰り返されたので、大人しく従いました。
 
 さらに次の電車も、タッチの差で間に合いませんでした。嗚呼……。

自分に死ぬ

 「キリストにならいて」は、500年以上読み継がれてきた、信仰書の名著中の名著です。先日、久し振りに読み返しました(フェデリコ・バルバロ訳で「キリストにならう」という題でした)。
 
 ものすごく要約すると「神にあって自分に死になさい」「あなたが苦難に遭うのは正しいことです」と書かれています。苦しみながら人生を歩んでいる人は、涙なしに読めないでしょう。
 
 「自分に死ぬ」が分かるようで分からないところがあったのですが、ようやく電車に乗ってから、はっと気づきました。
 
 このイライラ、ムカムカした自分こそ、死すべき自分じゃないか。
 
 キリスト者になって30年。つくづく、まだまだだと思います。運転手さん、ごめんなさい。キリストの歩んだ道に続くのは、簡単なことではありません。