息子が学校の図書室から、内田樹編「ポストコロナ期を生きるきみたちへ」を借りてきてくれました。私は内田さんの著作が大好きで(ほぼコンプリートしていると思います)、普段の会話にも頻繁に登場するので、子供の頭の中に「ウチダタツル」が刷り込まれていたのでしょう。
表題の通り、この本は中高生に向けて書かれています。「コロナ後」という未知の世界を生きる若者たちが、どのような心構えや備えをすればいいのかを、内田さんを含む20人の識者が語る、というものです。
読みながらふと考えました。「執筆依頼が私にも来ていたら、何を書いただろう」。この妄想が一気に膨らんだのが以下の一文です。
みなさん、こんにちは。山崎太郎です。
みなさんと同じ、中高生世代の子どもがいます。
わが家の子どもたちは、スマホが大好きです。子どもたちが幼いころから「活字中毒者に育てよう」と読み聞かせをし、せっせこ図書館通いを続けてきましたが、高校生になってスマホデビューしてからは(持たせたくなかったのですが、事実上のインフラになっているので仕方ないですね)、彼らの自由時間の大半は本ではなくスマホの画面を見ることに費やされています。ゲームをするか、Youtubeを見ているようです。
彼/彼女らを見ていて感じることは
- 目が悪くなるだろうなあ(既に全員眼鏡)
- 姿勢が悪いなあ
- 本には終わりがあるけどゲームにはないので、区切りをつけるのが大変だろうなあ
- 本は図書館で借りれば無料だし、買っても金額は知れてるけど、課金の世界はエンドレスだなあ
- 反射神経や脳の情報処理能力は向上するかもしれないなあ
--です。
息子がやっているゲームを見せてもらいました。ピカピカ光るビームに大音響に……何かに似ていると思ったら、パチンコと同じですね。中毒者を作り出すメカニズムも同じなのかもしれません(ゲーム大手のセガもパチンコ機メーカーのサミーに買収されましたし)。
新型コロナ禍への対応について「台風のようなものだから、過ぎ去るのを家でじっと待つしかない」と助言されている人がいます。ある意味で正しいと思います。スマホは、待機中の時間潰しには有効かもしれません。
でも、必ず家を出る時が来ます。家の外には、コロナ以外にも「不確実性」がいっぱいです。それら一つ一つにどのように対処していくか。具体的な方法論はありません。すべてはケースバイケースだからです。前に有効だった方法が次も有効とは限らない。
不確実なものに対してどうふるまえばいいか。その答えは、スマホからは引き出せません。
ではどうすればいいか。簡単です。「絶対確実なもの」に頼ればいいのです。
絶対確実なものは、通常「神」と呼ばれています(神以上に絶対で神以上に確実なものを挙げることができますか?)。
私はクリスチャンですから、私にとっての神とは、イエス・キリストです。
私が神を信じてから25年が経過しました。確かに新型コロナ禍は、この25年、あるいは私の50年近い人生の中で最も大きな「不確実性」です。けれども、依り頼むべき神を持っているお陰で私の価値観は何一つ変わっていませんし、生活もほぼ変わりませんし、将来に対する不安が増したということもあまりありません(中途半端な信仰者なので少しは増した)。
2020年4月にWHOが「COVID-19の文脈における宗教指導者と信仰に基づくコミュニティのための実践的な考察と提言」という文書を発表しました。日本語訳はここで読めますが、そんなに難しい英語ではないので、原文をここからダウンロードして読んでみることをお勧めします。
面白いのは、WHOが、宗教指導者について「公衆衛生の危機や健康上の問題に対して霊的なサポートができる」存在であると位置づけていることです。また、この文書の目的の一つが「人々のメンタルヘルス、健康な霊性、ウェルビーイング、心の回復力を強化する」ことにあると謳っている点です。
日本人の会話の中で「霊」や「霊性」が語られることはまずないと思いますが、WHOはメンタルや心、感性と同様、「それは確かに存在する」と考えており、かつ「目に見えないけど健康を考えるうえで欠かせないもの」と考えている訳です。
新型コロナ禍の問題は、ウイルスに感染して発症して命の危険にさらされるという問題以上に、「今後世界は/この国は/私の会社は/私の仕事や進路や学校生活は/私の家族は、どうなるんだろう」という不安を世界規模で覆ったことにあると思います。つまり物理的な領域より、メンタルや心、霊性といった「見えない」領域の問題です。
霊性を扱うのは宗教だけです。だからこそ、私は信仰を持つことを勧めたいのです。どうせなら、信頼も実績も抜群で絶対安心確実のイエス・キリストを信じてみませんか?