腰を痛めた次男に、最寄り駅近くの整骨院を訪ねるよう勧めたら、スマホで検索して、「評価が(5段階中)3.0だから行かない」と。
ネット時代、「数値化信仰」が非常に強まりました。
ある商品について、Amazonで星がいくつついているかが購入の判断材料になる(クチコミとは、星の数についての補足です)。食べログの評価が、その店を選ぶかどうかの指標になる。挙げればキリがありません。数値化信仰は、理性と科学を重んじる啓蒙思想が生んだ、新たなる神だと思います。
数値やデータは大事ですし、エビデンスを示されたら反論は難しい。私自身、数値を軽んじてはいません。でも、数値で判断できないこともある、数値から入るよりまず経験じゃない? と思うのです。
私は人様とご一席設ける際は、店を訪ねて雰囲気を見て、店員と会話し、時間があれば事前に食べてみます。結果的にハズレでも、いいのです。自分の頭で考えたこと、自分が行動したこと、その過程で経験値を得たことが大事なので。
その神は「救済」してくれない
「モナ・リザ」を数値評価することはできません。あるアートを美しいと感じるかどうかは、個人の感性によるものだからです。
キリスト教も同様です。信仰とは理性を超越したものですし、キリスト教の教えが本当に正しいかどうかなど、絶対に数値で示せません。
私自身がかなり理性に寄った人(=感性の人、霊性の人ではない)なので、本サイトもどうしても「理」に訴えたものになりがちなのですが、私の願うところは、一人でも多くの人が、その向こう側にジャンプしてくれることです。あなたのお越しを、心からお待ちしています。