長女の門出

延長3カ月

 私が神戸の実家を離れて京都で一人暮らしを始めたのは、18歳のころでした。引っ越し当日のことは何となく覚えています。両親が帰った後、シーンとした家で一人。少し寂しかったのだと思います。
 
 それからは宮崎、長崎、福岡、鹿児島、愛媛と、ある土地には自分で希望して、ある土地には社命で住みましたが、「実家(の近く)に帰りたい」と思ったことは一度もありません。親不孝者だと思います。
 
 今度は私が送り出す立場になりました。
 
 次男は県外の大学に進学するため、3月末で家を出ました。私と同じ18歳。引っ越しに立ち会わなかったことや、息子であることも手伝ってか、「勉学に励め。学生生活を楽しめ」と送り出しただけでした。
 
 22歳の長女は6月末で出ました。本当は3月末で良かったのですが、次男との「引っ越し二正面作戦」を展開する余力が私にありませんでした。本人にとっても、就職直後の3カ月だけでも実家から通えるのはシームレスでありがたい、という面がありました。
 
 私たち夫婦にとって、延長された3カ月は、神様からのプレゼントでした。次男(や長男)と違って長女は良く気がつくし、家事にも積極的だし、母親とはよく喋るし、よく笑ってくれるしで、有難いことこの上ない。
 
 本当はずっと家にいてくれてよかったのですが、かねがね「18歳になったら家から出なさい。ただし高等教育を受けたいなら、その間は執行猶予もあり」と言ってきた以上、その言葉は守り通さなければなりません。古い考え方かもしれませんが、子は、精神的、経済的、霊的、あらゆる面で独立しなければならないのです。自分が親元を離れて好き放題やってきたように、子にもさせなければなりません。

去りゆく背中

 引っ越し準備をテキパキ済ませていく長女の姿を頼もしく思いつつも、時々寂寥感がよぎるのはどうしようもありませんでした。この点、次男とは全く違う(笑)。第1子は特別なのです。
 
 6月29日は妻の誕生日だったので、長女の送り出しセレモニーも兼ねて、私と長女と長男でささやかな手料理を作って、4人で夕食をとりました。
 
 6月30日は引っ越し当日。業者さんが手際良く荷物を運び出してくれました。長女の新居で荷ほどきをおおむね終え、近所のスーパーで買った夕食を一緒に食べた後、少し早めに新居を離れました。長女は駅まで私たちを送ってくれました。湿っぽくならないよう努めたつもりですが、長女の目には涙が浮かんでいました。
 
 エスカレーターで改札に向かう間、去りゆく長女の背中をずっと見ていました。小柄で、少し猫背。視界から消えるまでの間、長女は一度も振り向きませんでした。それでいいのです。