2006年、サッカーの中田英寿さんが自身の公式サイトで引退を表明したとき、彼はこうつづりました。
「人生とは旅であり、旅とは人生である」
私は、幼いころからスポーツには全く不向きで、長じてからも「人様の役に立つのは、せいぜい首から上だけ」と言っているような人間なので、サッカーには(野球にもその他どんなスポーツにも)興味がありません。中田さんの引退にもとりわけ感慨はなかったのですが、この言葉は、私の長期記憶装置に保存されました。
人生とは旅である。異論ありません。私自身、生まれてからこの方、引っ越しを繰り返してきました。
聖書的表現だと、旅人というより「寄留者」になります。「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです」(新約聖書「ヘブル人への手紙」11章13節)といった具合に。
英語の聖書だと「寄留者」は「ストレンジャー」とか「フォーリナー」になっています。フランス語の聖書は読んだことがありませんが、「エトランゼ」でしょうかね。どうでもいいんですが、ウチの奥様が昔読んだ漫画に「ときめきトゥナイト」というのがあって、その主人公は「江藤蘭世(えとう・らんぜ)」だったそうです。
閑話休題。
でも、中田さんの言葉が長期記憶に入ったのは、共感したからではなく、むしろ多少の違和感があったからなんです。
私ならこう言うでしょう。
「人生とは決断の積み重ねであり、決断の積み重ねこそが人生である」
朝食に何を食べるかという、完全に自己裁量の範囲内の決断から、どの高校を受験するか、誰と結婚するか、定年後は何をするかまで、人生は大小さまざまな決断に満ちています。決断を全くしない一日、というのはあり得ないかもしれません。
私もあなたも、無数の決断の結果「今、ここ」にいます。無数の決断が私やあなたの人格と人生を作りました。無数の決断の中には、朝食をパンにするかご飯にするかというような、どちらを選んでも(短期的には)結果にほとんど差がないものから、どの企業に入社するか、その企業で勤め上げるか転職するか、誰と結婚するかといったような、人生を大きく左右するようなものまであります。
どうでもいいような決断はともかく、後々決定的な影響を持つ決断をする際に間違いがないようにするにはどうすればいいか。そのヒントは「地震」にあると私は考えています。
長崎県島原市には、地震火山観測研究センターという九州大学大学院の付属施設があり、九州じゅうの地震や火山を観測しています。私は島原に勤務していた8年間「学費を払わない学生」と言われるほどセンターに足しげく通い、取材を通して地震や火山についての理解を深めました。離任時にセンター長からもらった〝卒業証書〟は私の宝物ですし、私の〝最終学歴〟は自称「九州大学大学院」です(もちろん、いずれも社会では通用しません)。
センター長は火山学会随一の人格者で、地震や火山のイロハを、素人だった私に実に丁寧に教えてくれました(むろん、そのすべては記事という形で社会に還元しました)。その中にこういうものがあります。
「ものすごく単純化して言うと、マグニチュード(M)7の地震が1年に1回日本で起こるとしたら、M6は10回、M5は100回、M4は1000回起きている」
これはつまり、地震の規模と回数は反比例の関係にあるという意味です。
決断についても同じことが言えると私は考えています。つまり、決断の大きさ(重要度、難しさ)と、決断を迫られる数は反比例し、どうでもいい決断ほど数が多く、人生を左右するような決断はそう多くない、ということです。
人生の中で、10の大きな決断があったとします。その決断をしてから10年、20年後に「いい決断だった」と思える決断が、10のうちいくつあるか。その〝正答率〟を高めるというのは、よい人生を送るうえでとても大事だと思います。
正答率を高める方法はいろいろあると思いますが、私は、中小の決断に際して「自分なりの原理原則」を試し、その妥当性を確かめたり、修正していきながら、大きな決断に備えるのが良いのではないかと考えています。誰しも、意識しない形で原理原則は持っているのです。「直感を信じる」「楽しい方を選ぶ」「経験則に照らす」「両親に教えられた通りにする」「困ったときは占い師」等々。
私が自分の人生で「よくやった、自分! お前にとって最上、最高、最大の決断だった」と心から思えるのは、22歳の時、クリスチャンになると決めたことです。この時はむろん、若かったので原理原則も経験則もなかったのですが、「神のノックに応答してドアを開ける」ことができたのは、本当に幸いでした。
皆さんも、大きな決断に際して後々後悔のない選択ができますように。特に神が心のドアをノックされた時(それはあまり多くない)には。祝福を祈ります。