高校受験って、現代日本に残された数少ないイニシエーション、通過儀礼だと思うのですが、今から30年ほど昔の私にもそれは同様でした。
中3のころ、私の成績は「並」でした。偏差値で言うと55ぐらい?
受験先を選ぶ際、私は、私立高校(滑り止め)は偏差値60前後、「Bクラス」の高校を選びました。本命の公立高校は偏差値50ぐらい、「Dクラス」の高校にしました。私の実力はCクラスにギリギリ届くかどうかだったと思うのですが、C、Dクラスの私立校が近所になく、また中学の先生が、確実性を優先させてDクラスの公立校を勧めたため、ちょっと歪な選択になったのでした。
実力不相応な私立校には合格できると思っていなかったので、合格発表の日の喜びは今でも鮮明に覚えています。公立校の合格発表の日の胸中は「あーあ、受かってしまった」です。家計を慮って、不本意ながら公立校に進みました。
大学受験では、7校受けたにもかかわらず、合格したのは本命からは程遠い京都産業大学だけでした。後から知ったのですが、合格最低点でした。
当初は家計を慮って片道3時間半かけて通っていましたが、体が悲鳴を上げたので、大学1年の12月から京都で下宿生活を始めました。
中途半端な時期だったためで、大学からかなり離れたワンルームマンションしか空いていませんでした。周囲は田んぼばっかり。買い物に行くのも一苦労でした。
私立校に進んでいれば、違う大学に進めていたかもしれません。家計に余裕があれば、入学と同時に、もっと条件のよい所に下宿できたでしょう。
しかし、下宿から徒歩15分の場所にバイト先があり、そこでクリスチャンの女性と出会って近くの教会に導かれる訳ですし、その人は後に奥さんになってくれました。つまり、ここまでの道のりには「神の最善」があった訳です。
「お前の目には理解できない、不満にしか映らないかもしれない。でも、この場所がお前にとって『最善』なんだよ。私はお前の何年も先まで見通したうえで、今お前をここに置いたのだよ。私が『合格』を出すまで、ここで頑張りなさい」 。神さまの「聞こえない声」を言語化すると、このような感じでしょうか。
私は18歳で神戸を離れ、22歳でクリスチャンになり、入社後は各地を転々とした訳ですが、常に最善だけをなさる神に従い、それぞれの土地で神さまのレッスンを受けてきました。