学生時代と就職浪人中の1年、私は京都市左京区に住んでいたのですが、後に妻となる女性にフラれたのが理由の一つで、私は縁もゆかりもない宮崎への赴任を希望しました。入社1年目(1996年)だったか2年目(97年)だったかは記憶が定かでないのですが、夏の甲子園での宮崎代表の試合を取材するため、久しぶりに関西に戻りました。
それまで、京都と宮崎で離れていたので「吹っ切れた」つもりでいたのですが、甲子園球場のある兵庫県西宮市まで来ると、途端に彼女のいる京都に近くなったものですから、球場にいる若い女性がみんな彼女に見えて仕方ない(爆)。野球には全く興味がない人なので甲子園に来るはずもないのですが、全然吹っ切れてなかった事が露呈した訳です。
頭がおかしくなりそうだったので、宮崎代表が初戦で敗れて、そのまま夏休みがもらえたのをいいことに、私は北海道行きの飛行機に乗りました。とにかく距離さえ開けばこの幻影は消える、一番遠いところに行こうと(笑)。若かったのです。独身だったからお金もありましたし。
何の計画もなく函館空港に降り立った私は、あまりの寒さに驚き、JR函館駅に着くとすぐ、近くの店でウインドブレーカーを買い求めました。そして数日間、ほろ苦い思い出をかき消すかのように行き当たりばったりで道内を旅行しました。記憶が正しければ、カメラ2台にレンズ4本、フラッシュが入ったバッグを持って羊蹄山に登ったりしているのですから、若かった(馬鹿だった)という他ありません。
それから10年。思いもかけない形で私は函館を再訪することになりました。妻の妹が函館の教会で結婚式を挙げたのです。私と妻、3人の子供を乗せたタクシーが函館駅を通った時、どれほどの感慨を覚えたことでしょう。
でも神さまは、すべてをご存じでした。私が初めての北海道で寒さに震えている時、もう一度、今度は喜びと共に、しかも一人ではなく家族で北海道を訪れることを。ほろ苦い思い出はスウィートな記憶に変わることを。
「御手の中で」という賛美歌があります。こんな歌詞です。
御手の中で 全ては変わる 賛美に
我が行く道を 導きまたえ
あなたの御手の中で
御手の中で 全ては変わる 感謝に
我が行く道に 現したまえ
あなたの御手の業を
もし私が入社後、神さまから離れていたら、妻との結婚も、今の幸せな家族生活もなかったでしょう。神は未熟だった私と妻を、あわれみの御手の中で作り変え、導いてくださいました。私たちはただ、そのことに感謝し、賛美する以外にありません。主の御名は誉め讃えられるべきかな。アーメン。