キリスト教的就活案

 2019年6月、旧知の先生からお招き頂いて、就職活動を控えた某大学の3回生女子たちに、マスコミの仕事についてお話してきました。以下はその台本で、基本的にこの通り喋っています(ただし書き上げた時点で全部頭に入るので、見ながら喋ることはしません)。ある学生さんが「キリスト教の授業のようだった」とレポートに記してくれましたが(笑)、それは真に正しい。黒板に板書しながら喋っている様子を想像しつつ、読んでください。ただし90分以上話したので、長いですよ。ではレッツゴー。
 
 
 
 <Chapter1>
 ここに魔法の箱があります。
 
 箱にA、B、Cを入れて、レバーをぐるぐる回すと、D、Eが出てきます。Aはあなたの健康・体力。Bはあなたの時間。Cはあなたの才能・知識。この三つがあなたの「財産」です。
 
 Dは成果物です。農家だったら作物、新聞記者だったら記事、学校の先生だったら「少し賢くなった生徒」。Eはその対価・報酬、サラリーマンだったら給料ということになります。
 
 この魔法の箱を「職場」と言います。職場にあなたの健康、時間、才能を入れてぐるぐる回したら、成果物と報酬が得られる。「労働」とは、本質的にA~Eの流れのことを言います。
 
 基本的には、Cが大きいほど報酬が大きいです。誰にでもできる仕事より、高度な知識や専門性が問われる仕事ほど、お金を払う価値があるからです。Aが大きくても報酬が高い場合があります。高層ビルの窓ふきのような、命を危険にさらす仕事がそうです。
 
 そして、会社は成果物をまとめて大きなことをします。例えば自動車メーカーだったら、1台の車を作るのにたくさんの人の成果物が必要になります。それを売って利益を得て、そこから社員に給与を支払う訳です。
 
 ここまでいいですね?
 
 でも、世の中には、もっと賢い人がいます。ずるがしこいと言ってもいいかもしれません。
 
 それは「場」を提供する人です。
 
 みんな大好きYoutubeを例に挙げましょう。
 
 YoutubeはGoogleが運営していますが、Googleがやっているのは、万人に「映像を投稿する場を提供すること」だけです。そしたら、世界中から映像が投稿される。ヒカキンとかはじめ社長とかクイズノックの伊沢君とか、才能のある若い人たちが、自分の時間と健康と才能を使って、魅力的な映像を投稿してくれる。
 
 本来ならここでGoogleは彼らに報酬を払わなければいけないところですが、報酬は支払われません。それどころか、その映像を目当てに、たくさんの企業が広告を出す。広告収入のいくばくかは、Googleのものになる。
 
 こうしてGoogleは、ただ「場」を提供するだけで、従業員でもない人の自分の時間と健康と才能を世界規模で吸い上げてどんどんどんどん成長する。株価も上がる。対抗する企業も出現しようがない。それを見にたくさんの人が集まる。だから広告も集まる。原材料を仕入れたり、在庫を保管する必要もない。ウハウハのスパイラルはとどまることがありません。
 
 皆さんの大好きなインスタグラムもそうです。インスタは「場」を提供するだけ。あとは世界中の利用者が魅力的な映像をアップして、日々更新して、インスタの魅力を高めてくれる。ツイッターもそう。
 
 GAFAの中でAmazonとAppleは、実体のあるモノを売っていますが、GoogleとFacebookは基本的に「他人の時間と健康と才能を吸い上げる」企業です。むろん、利用する側にもメリット--自分の映像を多くの人に見てもらいやすい、「いいね」で承認してもらえる--があるから、投稿するんですけどね。
 
 ここまで分かりましたか? これが基本的な単位としての労働の本質と、その究極の集合体である世界企業の本質です。
 
 
 
 <Chapter2>
 自己紹介が遅れました。山崎太郎と言います。46歳です。妻と娘、2人の息子がいます。プロテスタントのクリスチャンです。
 
 京都産業大学、1年の就職浪人を経て、現在の新聞社に採用されました。
 
 皆さんは大学3年生ですが、私が就職活動を意識したのも、今から25年前、大学3回生の時でした。だから、私が大学3回生の時からお話をしましょう。
 
 当時読んだ本に「自分にしかできない仕事は何かを考えよう」とありました。実は私、左の目が見えないんです。2歳の時に、事故で失明しました。右は裸眼で1.5ありますよ。
 
 そのころ私は、知的障害児の入所施設に、子どもの遊び相手をするボランティアに行っていました。私はそこで二つのことを感じていました。一つは「どうして人は、障害者を隔離するのだろう。日本の中に〝外国〟を作るようなものじゃないか」ということでした。施設は市街地からとても離れた所にあったのです。もう一つは「私は障害者ではないが、健常者とも言い切れない。ちょうど両者の中間に位置する存在だ」ということでした。
 
 私は幼い頃から書くことが好きでした。本を読むことも大好きでした。なので「新聞記事を通して健常者と障害者が当たり前のように一緒に暮らせる社会の実現を後押しできれば、自分の目が見えないことが生かせるのではないか」と考え、新聞社を志望しました。
 
 京都産業大学から全国紙に進んだ人は、当時ゼロでした。後に知ったのですが、全国紙に入るには「関関同立以上」が暗黙の了解だったようです。
 
 仕方ないので、私は、立命館大学の就職課にしれっと入り込んで、立命館の諸先輩が残した資料に必死に目を通して、ノウハウを学びました。新聞社の入社試験をサポートする予備校のような学校にも通いました。
 
 私が就職試験を受けた1994年は、バブルがはじけ「就職氷河期」という言葉が吹き荒れたころでした。各新聞社が採用数を絞るなか、私の就職戦線は全国紙が全滅、地方紙も最終面接までいくつか残ったものの、最終的にはすべて落選という結果に終わりました。
 
 友人たちが名の知れた企業や官庁から内定を得ていく中、新聞社一本に絞って就職活動をしていた私は本当に焦りました。遅まきながら新聞社以外の民間企業も受けてみましたが、後の祭りでした。
 
 当時は、卒業に必要な単位を習得していたら、大学に残ることはできませんでした。なので、実にみじめな気持ちで卒業を迎え、「新卒」の身分も失いました。当時は既卒採用する企業はほとんどなく、新聞社は数少ない例外だったので、何が何でも新聞社に入るしかなくなりました。
 
 もう一度新聞社を受けると決めたものの、採用が約束されている訳でもなし、日々、焦る気持ちや不安を抑えながら、論作文や時事問題、英語の勉強に明け暮れました。「勉強のしすぎでおなかが減る」という経験をしたのは、後にも先にもこの時だけです。確か当時は、5月ぐらいから「セミナー」という名の青田買いが始まっていたのですが、セミナーの成績が思わしくない度、胸をかきむしったものです。
 
 さて、私は就職浪人の傍ら、家から徒歩15分ほどの京都生協でレジ打ちのバイトをしていたのですが、親しくしていたバイトの後輩の女の子がある時、私を近くのキリスト教会に誘ってくれました。思い詰めていたのが顔に出ていたんだと思います。教会は下宿先とバイト先のちょうど中間にあり、彼女は家族でその教会に通っていました。
 
 当時の私はクリスマスも初詣も、という典型的な日本人でしたが、わらにもすがりたいという気持ちが50%、彼女とお近づきになりたいという下心50%で、私は初めて教会の門をくぐりました。その後も、教会通いは続けていましたが、ある時、私は人生を決定づける一つの言葉と出会います。新約聖書「ヨハネの福音書」の9章。
 
 ここでは、目の見えない人を前に、弟子たちが師匠であるイエスに問います。先生、彼が盲目に生まれついたのは誰の罪によるものですか、彼ですか、彼の両親ですか、と。
 
 イエスは答えます。誰の罪によるものでもありません、神のわざが、この人を通して現れるためである、と。
 
 ガーン。未だかつて、私の目が見えないことを、そのように説明した人はいませんでした。なら何ですか、私の目が見えないのも、神のわざが私を通して現れるためですか? と思ったのです。
 
 そこで私は、信じてもいない神にこう訴えました。
 
 「私が新聞記者になり、新聞記者として障害者と健常者の橋渡しになることが『神のわざの現れ』なら、私を新聞記者にしてみなさい。新聞記者になれたら、あなたを信じていい」
 
 今思うと、赤面の至りです。当時は若かったのです。
 
 就職試験では、今の会社だけがトントン拍子に進みました。先に書いたように「関関同立でなければ全国紙には入れない」ご時勢でしたので、「これは私の実力ではない。人智を超える力が働いたのだ」と信じることは難しくありませんでした。私は潔く白旗を揚げて、洗礼を受けました。1995年10月のことでした。
 
 仕事も決まったし、洗礼も受けたので、私を教会に誘ってくれた女性に告白したのですが、振られました(笑)。未練がましいのは嫌なので、会社が赴任希望先を聞いてきた時、「宮崎か熊本」と書きました。鹿児島に行くと桜島の灰が降ってきそうだったので。
 
 宮崎市で新聞記者の仕事を第一歩を踏み出し、そこで2年。宮崎県の日南市に2年、宮崎市にまた戻されて1年。この年の10月に結婚します。お相手は、かつて私を教会に誘ってくれた女性です。神の恩寵という他ありません(笑)。
 
 結婚して半年後には、長崎県の島原市という所に転勤になります。ここには8年いて、子供を3人授かりました。特ダネをいっぱい書いて、子育てもいっぱいしました。次が福岡県北九州市で、そこでは編集の仕事を2年半しました。新聞社の仕事については、のちほど説明します。
 
 次が鹿児島市で記者を2年半。次が愛媛県の松山市で2年半。その次が愛媛県の八幡浜市で1年。そして2017年10月から現在の職場です。以上が私の簡単な略歴。
 
 
 
 <Chapter3>
 次に新聞社の仕事を簡単に紹介しましょう。新聞社は基本的にバトンリレーです。第1走者、記者が誰かに会って話を聞いて記事を書いて写真を撮る。デスクの目を通った原稿と写真は、インターネット経由で本社に集約されます。
 
 そこで記事は交通整理されます。この記事は1面、これは社会面、これがローカル面という感じで。
 
 面には1人ずつ、編集者がいます。出てきた原稿と写真に見出しをつけてレイアウトして、新聞の形に整える。これが第2走者の仕事です。
 
 第3走者は印刷工場。ここで大量の新聞が製品として出荷されます。アンカーは販売店。早朝や夕方、オートバイに乗って新聞を配ってくれる人たちです。
 
 ネット時代になって、記者の原稿はデジタルの部署も扱うようになりました。こちらも見出しをつけて、自社のサイトに上げたり、ヤフーニュースやツイッターに配信したりします。皆さんは無料でニュースを読んでいますが、それはこうした会社が新聞社と契約して購入したものを、配信している訳です。
 
 新聞社は公益性の高い企業なので、いろいろな事業をしています。高校野球とか高校駅伝とか美術展とか、本当に多くの事業も手がけています。広告媒体でもありますから、広告を取る仕事もあります。販売店の皆様とお付き合いをする部署もあります。
 
 新聞記者の仕事に限っていいますが、入社試験は時事問題と作文が基本です。時事問題については、普段から新聞を読んだりニュースを見ていないと話になりません。
 
 作文は「希望」とか「風」とか、漠然としたテーマが出される事が多いです。60分で800~1000字書きます。これも、訓練してないとなかなか書けませんね。
 
 ペーパー試験をクリアしたら、面接が2~3回あります。せっかくなので、面接官経験のあるOBに「どこを見ているんですか」と取材してきました。あくまでこの人の場合ですが「一番は意欲。次がオリジナリティ=独創性、独自性、3番目が他者を思いやる力」ですって。エントリーシートは丁寧に読み込んだそうです。学生さんも準備して、飾った自分を見せようとするので、素顔を見られるような質問をしたそうです。ご参考まで。
 
 新聞記者の醍醐味は、名刺1枚で誰にでも会えるということでしょう。もちろん会うだけではだめで、それを記事にすることが大前提ですが。
 
 編集者は脳内アスリートです。800~1000字ある原稿をひたすら因数分解して(比喩ですよ)、本質中の本質を20文字以内で見出にまとめる。レイアウトには美的な感性が必要です。
 
 おおむねこんな所で、新聞社の仕事の話は終わりたいと思います。次は業界の話。
 
 
 
 <Chapter4>
 先日読んだ本に、こんなことが書いてありました。
 
 「すべての企業には、ライフサイクルがある」
 
 ①誰も参入しないようなニッチ市場で小さく誕生し②ぐんぐん業績が伸びて他社も参入してマーケットも拡大し③安定期に入り④マーケットが縮みやがて消えていく--です。赤ちゃんから青年、中高年、お年寄りまで、人間のサイクルと同じですね。
 
 その本は「就職するなら②の企業に入るべきだ」と説いていました。例えとして、上りエスカレーターに乗っている人の絵がありました。大して努力しないでも業績が伸び、キャリアアップするからだと。
 
 逆に転職すべきは④の企業の人だと。この人は下りエスカレーターを走って必死に上ろうとしている人のようだと。現状維持だけでも大変、気を抜けば下るだけ、今より上に上がろるのは本当に大変、と。
 
 この説に従えば、新聞社は④です。皆、新聞読まないですから。じゃあ、私なんてすぐに転職しないといけない。
 
 でもね、私は職業柄「もっともらしい話は疑ってかかれ」という人間です。ちょっと疑ってかかりましょう。
 
 まず、上りエスカレーターは人気が高いですから、たくさんの人がエントリーする。じゃあ、TDLやUSJのように行列が全然解消されず、卒業までにエスカレーターにたどり着けないかもしれない。仮に着けたとしても、選考がシビアで乗せてもらえないかもしれない。乗れて、仮に10年勤めるとして、ラッシュアワーのようなぎゅうぎゅうの10年かもしれない。たくさんの人が乗っているのでスピードが出ないかもしれない。誰かに途中で蹴落とされるかもしれない。レッドオーシャンだから、将棋倒しが起きるかもしれない。
 
 上りには上りで、一見しただけでは分からないような潜在的リスクというものがあります。
 
 下りエスカレーターにはそのようなリスクはありません。確かに、それの市場で現状維持したり上っていくのは大変でしょう。でも、同じ10年勤めるとしたら、どちらが足腰鍛えられますか?
 
 私は毎日の通勤で、エスカレーターを使わず、階段を1段飛ばしで上ります。毎日エスカレーターを使う人に比べて、10年後に筋力がついて、心肺機能が高くなっているのはどちらでしょう? 「そこで私は成長できるか、鍛えられるか」という観点で見るなら、明らかに下りです。
 
 私が新聞社に入る前から「新聞社は斜陽産業だよ」と言われてきました。でも、下りエスカレーターで鍛えられてきたので、どの企業に行っても通用する自信があります。
 
 衰退期で新規参入がないからこそ、やりようによっては新たなブルーオーシャンが広がっているとも言えます。
 
 私は別に、精神論を説くつもりはないのです。確かに、新聞社は斜陽産業であり、紙の新聞を作って売るというビジネスに将来性を感じないのは確かです。そういう観点で就職先を考えるなら、私がここに立つ意味なんてありません。
 
 このチャプターで述べたことは、言わばビジネス論、どれだけ話しても「人間の論理」です。しかし、就職を考える、仕事に就くというのは、人気があるか、市場が広がっているか、高給かどうか、著名な企業かとか、全く関係ないんです。一番大事なのは「どのような職業観を持つか」であり、それは「神の視点」を持つことから始まるんです。
 
 
 
 <Chapter5>
 では、神の視点からの職業というものを考えましょう。ここの話が、歌で言うところのサビ、映画のラスト30分なので、ここは真剣に聞きましょうね。
 
 今から1枚の紙を配ってもらいます。そこに描かれたチャートを基に話を進めます(※いろいろ調べるうちにたどり着いたここから拝借しました。素晴らしいチャートですが、オリジナルを作ったのは誰なんでしょうね)。
 
 まず左の円「What you are good at」=何が得意かについて説明しましょう。
 
 新約聖書「マタイの福音書」に「タラントの例え」があります。芸能人のことをタレントと言いますが、タラントはその語源となった単語で、古代の貨幣単位でした。1タラントは3000万~6000万円になります。
 
 ある富豪が、財産をしもべに預けて旅に出ます。しもべAには5タラント、しもべBには2タラント、しもべCには1タラント。
 
 これは何を意味しているのかというと、量の多い少ないはあっても、人には必ず、神からタラントを与えられているということ、神さまは、それをどのように用いるかをご覧になっているということです。それが「What you are good at」です。あなたが得意な何か、この分野なら他人よりも高いパフォーマンスを発揮できる何かを考え、周囲に聞いてみることから始めましょう。私の場合は「文章を書く」ことが幼いころから大好きでした。
 
 次に上の円「What you love」です。あなたが愛しているものは何ですか? 愛している=「それに時間と手間とお金を割いても惜しくないもの」と考えてください。あるいは「それをやっている間、あなたは時間を忘れることができるもの」「長い期間続けられるもの」と考えてください。私はクリスチャンですから、神を愛し、家族を愛し、自分を愛していますが、その次に来るのは「本(活字を)読んで思索の旅に出ている時間」です。子供の頃から、ずっと本を読んできて、これからもそうだと思います。
 
 左の円と上の円が重なる所にPassion=情熱が生まれる訳です。
 
 情熱のない所に、やる気は起きませんよね。逆に、情熱があれば、多少の無理難題でも克服できます。情熱というものは、あなたが得意なことであなたが愛しているものの間にのみ成立するということを覚えてください。私は絵を見るのは好きなんですが、絵を描くのは全くだめ。だから絵に対してはPassionが生まれないんですね。
 
 下の円は「What you can be paid for」=あなたが稼げるものは何かです。家族を養い社会に貢献するためにも、稼ぎは大事です。介護現場の離職率が高いのは、仕事に見合った収益が得られないからではないでしょうか。デイトレーダーのように、パソコンやスマホの画面を24時間追いかけて、株や為替の上下に一喜一憂するのは、収益性は高いですが仕事として続けるのは……私には向かない気がします。ちなみに、私は株も投資もやりません。金儲けのために心と時間を奪われるのが嫌なんです。お金は好きですが愛してはいません(笑)。
 
 右の円と下の円が重なるところが「Profession」です。私たちも普段から「あの人は●●のプロだ」という言い方をしますよね。そのことです。ケンブリッジ英英辞典によると①特別な訓練または特定の技術を要する②それゆえに社会から(先生などの称号で)尊敬を受ける③高度な知識を要求する--仕事となっています。
 
 大学教授のことをProfessorと言いますが、まさにこういう人ですね。他に「先生」と呼ばれるような仕事は、日本では弁護士や医師がありますが、彼らもProfession。広い意味では、その仕事を何十年も続けて、その道のプロになったような人も含めて良いと思います。
 
 右の円だけは「What the world needs」=社会のニーズで、「あなた」のことではありません。この円が大きいほど、公益性が高いと言っていいと思います。
 
 私が就職活動を始めた時に思ったのは「健常者と障害者がもっと当たり前に、一緒に暮らせる社会を」、難しく言えば、福祉分野におけるノーマライゼーションをメディアとして後押ししたい、ということでしたね。発祥の地デンマークでノーマライゼーションの法律が成立したのが1959年、日本政府が「7カ年戦略」戦略を始めたのが1996年で、ちょうど私が入社した年だったので、はからずも私は社会のニーズに沿った仕事選びをしていた訳です。
 
 今だとニーズは何ですか? 貧困、格差、耕作放棄地、伝統産業の後継者不足、紛争、感染症の問題など色々あります。そういう社会問題に着目したのが、今で言うソーシャル・ビジネスですが、一般企業に就職したってそれに関わる仕事はできる。公務員というのは、ある意味、究極のソーシャル・ビジネスです。
 
 上の円と右の円が重なるところが、Missionです。つまり神から与えられた使命です。考えてください。神さまは全知全能の方です。神さまは戦国時代の日本にでも、100年先のアフリカにでも、あなたを生まれさせることはできました。でもあなたが、平成10年ごろの日本に生まれたということは、この現代日本や世界において何らかのミッションが用意されているということです。
 
 基本的に、ミッションは仕事という形で実現していきます。寝ている時間以外で、最も長い時間を人は仕事に費やすのですから。むろん、直接的にミッションに携わることではない場合もあります。誰かと結婚して、最前線でミッションと格闘する人を後方支援することかもしれません。あるいは、次世代の働き人、つまり子供を育てることかもしれません。神が用意されたミッションは多種多様です。
 
 クリスチャンであっても、ミッションが何かを確信することは困難です。常に「これが神のご計画だと思うんだけど」と迷いながら進めています。でも振り返った時に「きっとこれで良かったんだろうな」ぐらいには思えます。
 
 右の円と下の円が重なるところに「Vocation」が生まれます。Vocationは、職業、特に天職という意味合いが強いです。VocalとかVoiceとか、声に関係した仕事です。誰の声か? 神の声です。神の声に導かれたら与えられた仕事だから、Vocationという訳です。
 
 公益性があって収入がないもののことをボランティアと言います。高収入だけど公益性がないものの究極の姿がオレオレ詐欺などの特殊詐欺です。NGOやNPOは公益性は高いけど収入が安定しないかもしれませんね。でも社会的に見れば高収入でなくとも、本人がそれで満足できる、生計が維持できるなら、高収入で公益性が低い仕事よりも長く続けられる気がします。
 
 最後に、その中心に来るのがIkigaiです。英語にはこれに該当する単語がない所が面白いですね。Ikigaiはあるサイトではこのように説明されていました。「a reason for being, encompassing joy, a sense of purpose and meaning and a feeling of well-being」。あなたがあなたである理由、その中には喜びの要素があって、人生の目的のようなものが含まれていて、より良く生きるために必要なもの、ぐらいでしょうか。
 
 どのような仕事であれ、大事なのは、基礎となる四つの円がバランス良く配置されていることです。この円が大きいほど、PassionもMissionもVocationもProfessionも、何よりIkigaiが大きくなります。
 
 先ほど、「人の目」で見れば新聞社は斜陽産業だと言いました。現実にはその通りでしょう。
 
 では、どうして私が転職しないかと言えば、神の目で見れば違う答が出るからです。四つの円がそれぞれに大きく、バランスが良く、PassionもMissionもVocationもProfessionもあり、Ikigaiを与えられているからです。
 
 確かに新聞社には先がないかもしれません。新聞を読む人が減って倒産するかもしれません。でもそれは、私にとっては「神からのミッションが終わった」ということに過ぎず、必ず次のミッションが与えられるでしょう。
 
 私が転職するとすれば、神さまから新たなコーリングがあった時だけです(笑)。
 
 
 
 <Chapter6>
 少し整理しましょう。
 
 神はあなたに、何らかのタレントを必ず与えている。それが生かせる職場を探すのが良い。
 
 その際、

●あなたが時間を忘れられるもの
●公益性が高いもの
●満足できる収入があるもの
 

 を選ぶとなお良い--ということになります。ここまでいいですね?
 
 
 私が20代から30代前半で大きな影響を受けた方に、ハワイの牧師のコデイロさんという方がいます。
 
 コデイロさんはこう言いました。「神はあなたに、宝石を与えた。台座・指輪となるのはあなたの人格である。あなたの人格が成長することなしに、宝石の輝きが増すことはない」
 
 宝石とは、神からのタレントであり、この世にあなたが生まれたミッションだと言えます。宝石はとても大事ですが、それを支える台座・指輪がしっかりしていないと、宝石が外れてしまう。だからあなたは、あなたの人格を成長させなければならない、と。
 
 これは私が最も大事にしていることの一つです。人格を成長させる。まだまだですが。私は人を見るとき、その人が美しいか、若いか、どのような社会的地位にあるかは見ません。その人の本質、人格だけを見ます。
 
 人格を成長させる方法は、肉体を成長させる方法と基本的には同じです。きちんとカロリーある食事を取って、筋肉に一定の負荷をかける。
 
 私がスマホに否定的なのは、スマホが基本的に「成熟を促す道具」ではないからです。
 
 冒頭に「魔法の箱」について説明しましたが、スマホは皆さんにとって魔法の箱そのものでしょう。ゲームができる。インスタができる。メッセージのやりとりもできる。世界中とつながれる。
 
 でも「スマホに投じた時間の分だけ、あなたは成熟しましたか?」と訪ねた時、どうでしょう? もしNoなら、いきなりゼロにするのは困難でしょうから、少しずつ、スマホに割く時間を減らせるといいですね。
 
 その代わりに何をするか。普段は「人・本・旅・苦痛」の四要素があなたを成長させてくれます。
 
 「人」はあまり説明を要しませんね。今回、皆さんは私という人と会いました。それが皆さんの成長につながることを心から願います。コデイロさんには「あなたの友人を見れば、あなたがどんな人か分かる」という名言があります。意識して、自分を成長させてくれる人を友人にしてください。あなたも、誰かの成長につながる友人であってください。あなたの彼氏は、あなたの成長を促してくれる人ですか? それともあなたをダメにする人ですか? あなたは彼氏にとって、どうですか? もし互いに成長を促す関係にないなら、ちょっと検討を加えた方がいいかもしれません。
 
 そして、メンターを持って下さい。師弟関係になってくれる人ですね。私はどこに赴任しても、そこでメンターを探してきました。
 
 本は「頭と心のごはん」だと思って下さい。適度な負荷もかかります。スマホは基本的に負荷がかからないから、みんな触るんですよ。今回、軟派から硬派まで、お勧めの本をピックアップしてきたので、参考にしてください。
 
 まず普段から本を読まないという人向けに漫画から。

①きみはペット:これは参考です。私は読んだことがありませんが、同僚の若い女性記者が教えてくれました。作者は元読売新聞の記者で、主人公が作者自身、女性の全国紙記者です。新聞社の仕事を知るのには良いと思います
 
②だめんずうぉーかー:ダメな男に引っかかった女性たちの体験談です。オレオレ詐欺と同じで「自分は騙されない」と思っている人ほど危ない(笑)。自分に自信がない人も危ない。世の中には、本当に悪い男がいます。そういう男は、常に「カモ」を探しています。ここには彼らの手口がすべて公開されているので、ぜひ読んで下さい。神戸市立図書館にも大阪市立図書館にも置いています。それは、この本が非常に教育効果が高いからだと思います。著者による総括「だめんず症候群」もどうぞ
 
③困難な結婚:神戸女学院の内田樹大先生の著作です。読んでおくといいです
 
④この人と結婚していいの?:結婚前に、彼氏と読んでおくべき本です。この本を読んで、2人の間に一致した見解が持てなければ危険です。私も何年かに1回、読み返しています。男性という生き物、女性という生き物について、非常によくまとめられています
 
⑤はてしない物語:児童文学と侮ってはいけません。物語の楽しさ、没入する楽しさを教えてくれる、素晴らしい本です。何度読んでも、本当にいい
 
⑥アルジャーノンに花束を:結末を知っているのに、最後の一文を読む度に涙が出ます。こんな美しい物語があるんですよ。ぜひ
 
⑦モンテ・クリスト伯:子供向けの「巌窟王」や、題名は「モンテ」でも要約したようなのはダメです。岩波から文庫で7冊出ているので、それを。登場人物が多くて1人が複数の名前を使い分けていることもあるので、人物関係図を作るといいです。これも物語の醍醐味を味わわせてくれます
 
⑧クオ・ワディス:名作中の名作です。導入部がちょっとかったるいですが、そのうちグイグイ引き込まれます。「ルパン三世カリオストロの城」の古代ローマ版だと思えばいいでしょう。愛あり、陰謀あり、試練あり、すべてが詰まった名作です。一応言っておきますが、ウチの長女はここまで、中学生のうちに読み終えていますので。最近はスマホばっかりで全然本を読まなくなりましたが
 
⑨眠られぬ夜のために:格調高い幸福論です。ページをめくる度に電流が走ります。じっくりじっくり、味わいながら読む本です

 
 
 まあ、本についてはこのぐらいにしておきましょう。後に紹介したものほど、カロリーも負荷も高いです。
 
 旅は可能なら海外がいいです。トラブルがつきものですから。そういう中で成長できる。私は初めての海外がインドでしたが、死にかけました(笑)。別に国内でもいいです。視野が広がります。普段行かないような所に行くだけでも小さな旅が出来ます。普段は近場の図書館を使っているけど、あえて隣の区の図書館に行ってみるとか。私はこの界隈に来るのは久しぶりなので、帰りは歩いて駅まで下りようと思います。これも小さな旅です。
 
 「人・本・旅」以外では、リアルの経験を大事にすることです。特に嫌な経験、辛い経験、不条理な経験というのは、最近はあまり多くありませんが、そうした経験は一定の負荷を心にかけてくれます(負荷がかかりすぎると心の病気になる)。皆さんにそういう機会があったら、そこから逃げないことをお勧めします。
 
 あなたが自分を成長・成熟させる努力を怠らないなら、神は必ず、あなたを通して大きな業を表してくださいます。それが神があなたに任せたミッションです。
 
 
 
 長くなりましたが、1枚の写真をお見せして、この講義を終えたいと思います。
 
 写真の真ん中に写っているのは、「早稲田マスコミセミナー京都校」の先生をされていた方です。今から25年前、先生は、今の私と同じ46歳でした。私は、皆さんと同じ20~21歳でした。先ほど、マスコミの就職試験に作文があると言いましたが、私はほぼ毎日、自分で題を設定して、時間内に書き上げる訓練をしていました。そうして書いたものを、角谷先生は嫌な顔一つせずに、全部目を通してくれました。
 
 せっかくこちらに転勤してきたので、かねてからお会いしたかった角谷先生に、右の方と一緒に一席設けました。先生は本当に喜んでくださいました。この写真は、その時のものです。
 
 私は新聞記者になるため、努力を惜しみませんでした。バイト先の社員さんの大学の同級生が広島で新聞記者をやっていると聞いて、会いに行きました。その人にもファクスでどんどん作文を送り、忌憚のない意見をもらいました。「エントリーシートはこう書いた方がいいんじゃないか」というアドバイスももらいました。立命館にお世話になった話は先ほどしましたが、体験記を残した方に「お目にかかりたい」と手紙も書きました。実現はしませんでしたが。某大新聞や某経済新聞の京都支局に電話して、全く面識のない現役社員に事情を説明して会いに行きました。私はそれぐらい、新聞記者になりたかったのです。事の是非はともかく、100%混じりけなしの本気でした。
 
 今度は私の番だと思っています。もし皆さんの中に、どうしても新聞記者になりたい、あるいはマスコミ業界ではないけれど、どうしても就きたい仕事がある、そのためにヤマサキの力を貸してほしいという人がいたら、かかってきてください。私が求めるのは、「100%混じりけなしの本気」だけです。お金は1円もいらない。ただし、ただでさえ自由になる時間が少ない中で時間を割かないといけないのですから「本気かどうか」だけはものすごい問います。そういう覚悟のある人だけ、挑戦してきてください。
 
 saviourking.netが私個人のHPです。キリスト教の解説サイトですが、今日ここで述べたことの半分や、述べていないけど実生活上で役に立つこともいろいろ書いています。興味のある人は来てみてください。私へのコンタクトも、ここからできます。
 
 長い間ありがとうございました。これで私の講義を終わります。皆さんが「4つの円」を満たした職業に就けることをお祈りします。何かあれば、最後に質問をお受けしたいと思います。