「神様」のいる家で育ちました

 菊池真理子さんのノンフィクション・コミック「『神様』のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~」を、同僚の勧めで読みました。思ったところを記します。
 
 (第1話)エホバの証人の家庭の2世のようです。集会中に居眠りをした我が子に、旧約聖書の一節を引用して手製の鞭を振るう母親が描かれています。私の聖書と彼らの聖書は同じではありませんが、聖書を一部だけ切り取って適用するのはとても危険です。特に旧約。本書を読まれた方が「すべての2世がそのような家庭で育った」と誤解されないことを願うばかりです。私は鞭を振るったことなど一度もありません。
 
 (第2話)世界真光文明教団の2世のようです。「手かざし」「霊動」などが描かれています。キリスト教界でも特にペンテコステ系は礼拝中(賛美歌を歌いながら)よく手を挙げるし、「霊の戦い」を強調するし、集会によっては異言という傍目には意味不明な言葉を喋るし、人が倒れることもあるので、第三者には同じように見えるだろうなあ……と思いました。
 
 (第3話)旧統一教会の2世のようです。「イエスの再臨である真のお父様」って、文鮮明のことですが、我らがジーザス・クライスト・スーパースターは未だ再臨されていません。「神の血統で世界を統一」などという教義も説きません。むろん、夫婦のマッチングもしません(牧師がお見合いをセッティングするぐらいはありますが)。読んでいて腹が立ちました。
 ※再臨:2000年前にキリストとして来られた神の子イエスが、もう一度この地上に来られること
 
 (第4話)プロテスタントの2世のようです。2世が子供時代、帰宅したら家に誰もいなくて「自分だけ携挙されなかったのか?」と慌てふためく場面は、同じく2世(というか3世)の妻には「あるある」だそうです。他のエピソードはほぼすべて家庭崩壊していますが、この話は例外でした。成人して教会を離れた2世が「迷いの多い私はまた宗教に戻るかもしれない。でも人生ってきっと迷ってもいいものだ」と独白する場面には深く共感しました。真の宗教は、拒否する自由も、離れる自由も、また戻る自由も、認める宗教だと思うのです。
 ※携挙:キリストの再臨に伴い、その時生きている信者が天に引き揚げられること
 
 (第5話)幸福の科学の2世のようです。自殺未遂という形でしか、親と宗教の抑圧から逃げられなかった2世の辛さが、ひしひしと伝わってきました。なんで教祖の出身校だからといって、2世まで東大一択を強要されるのでしょうか?
 
 (第6話)真如苑の2世のようです。棄教したいと(非信者っぽい)父に訴える2世に対し父が「信じなくてもいいから(信者である)母に付き合え」と却下する場面と、その後の「削られているのはひとりの人間としての私の権利だ」と心の中でつぶやく場面は、読んでいて痛々しかったです。ただ、教義が緩いせいでしょうか、棄教後も「比較的幸せな家庭」が保たれたようです。
 
 (第7話)創価学会の2世=作者のようです。第2話もそうですが、信者と、非信者の配偶者の関係が、信者が宗教にのめり込むほど悪化し、どちらかの自殺で終わる点に、宗教の抑圧性の強さを見ました。
 
 
 
 私は本書を2回読みました。その宗教が真の宗教なら、そこには愛と自由と解放があり、幸福が再生産されます。我らがジーザス・クライスト・スーパースターは解放者としてこの地上にかつて来られ、再び来られるのです。偽りの宗教なら、そこには脅しと統制と抑圧があります。
 
 後者のような家庭に生まれ、不幸にも抑圧を感じているようなら、自分のことだけを考えて逃げることを強く勧めます。キリスト教会はそのような方々の避難所でもあるので、現実に苦しんでいる方は、どうぞ近くの教会にご相談ください。きっと力になってくれると思います。