2010年11月に韓国を一人旅しました。え? 自分だけ楽しむことに良心の呵責はなかったのか、ですって? まあ、子供は小さかったですし、妻には一足先に、環境整備のために、いやいや、結婚10年のお礼に米国旅行をプレゼントしましたので。
当時は北九州市に住んでいたのですが、韓国からの留学生が非常に多く、必然的に教会員にも韓国人の方が多かったのです。信仰の面でも人格の面でも本当に立派な人ばかりで(一部の人とは今でも交流が続いています)、そのような彼らを育てた韓国の教会を見てみたいと思ったのが半分、あとの半分は、日本と韓国の間には不幸な歴史がありますので、韓国側の視点で日本を見てみたいと思ったのです。
訪問先のほとんどはソウル市内でした。最初に行ったのが「安重根義士記念館」。安重根(あんじゅうこん、アンジュングン)と言えば、多くの日本人は「伊藤博文を射殺した人」と記憶しているでしょうが、韓国では坂本龍馬級の尊敬を受けている人物です。
次がタプコル公園。日本統治時代に「三・一独立運動」が始まった場所です。ある種の人からは「自虐史観だ」と怒られそうなチョイスですね(笑)。西大門刑務所歴史館や独立記念館などはエグい展示もありましたけど、目をそむける訳にいきませんしね。
いや、ちゃんとした観光もしましたよ。明洞(ミョンドン)とかソウルタワーとか徳寿宮とか。料理も堪能しました。日本と韓国は物理的に近いし、共に中華文明の周辺国として発展してきた歴史もありますが、似て非なる国でした。
韓国は「アジアにおけるキリスト教伝道の輝かしい成功例」と言われ、そこかしこに大小の教会があります。私の感覚だと、日本で郵便局を目にするのと同じぐらいの頻度でしょうか。日本のクリスチャンの方には、訪韓の際に是非足を伸ばしてほしいので、ガイドブックには載らないような情報を書いておきます。
①ヨイド教会
言わずと知れた韓国最大級教会。ソウルは漢江(ハンガン)という大きな川で南北に分断されているのですが(「グエムル 漢江の怪物」というなかなかいい映画がありましたね)、漢江の南側、国会議事堂の近くにあります。市街地からは少し離れています。聖歌隊の規模とあまりの上手さに圧倒されました。とても大きな会堂の中で、一日中何かしらの礼拝が捧げられているようでした。
②オンヌリ教会
ヨイドと並ぶメガチャーチ。講壇中央あたりに、大量のお米が捧げられていました。「今年取れたお米の中で最上のものを選りすぐりました。神様にお捧げします」という感じなのでしょうか。違うかも知れませんが、私も新聞記者の端くれとして、最高の記事/紙面だけを神様に捧げたいと強く思わされました。礼拝でHillsongの「The Power of Your Love」を賛美したのですが、韓国語の歌詞が分からないので、一人英語の原詞で歌いました。ここもやや郊外。
③楊花津(ヤンファジン)外国人宣教師墓地
公園になっています。韓国人伝道に尽力した宣教師たちのお墓が数多くあります。一人だけ日本人のものもあって、どこかで肩身の狭い思いをしていた私は、救われたような気持ちになりました。ここで眠るのは山口出身で、韓国では「孤児たちの父」と尊敬されている曽田嘉伊智(そだ・かいち)。伝道100周年記念館もあり、韓国キリスト教史を学ぶことができます。うろ覚えですが、韓国に初めて持ち込まれたハングル聖書は横浜で印刷されたそうです。
④堤岩里(チェアムリ)3・1運動殉国記念館
堤岩里事件はあまり日本では知られていませんが(関心のある方は、小笠原亮一ほか「三・一独立運動と堤岩里事件」を)、日本の植民地支配の中で、最も恥ずべき事件の一つです。1919年、3・1独立運動が波及した当地で、日本の憲兵が教会内に韓国人住民を閉じ込めて外から銃撃し、火を放ちました。死者は23人とも29人とも言われます。
1970年代、謝罪のため、日本人の募金で堤岩教会が新しく建てられたそうですが、今は撤去されて模型しか見ることができません。尾山令仁先生が謝罪する写真も展示されていました。
「許しこそすれ、忘れるなかれ」と書かれたプレートと、石に刻まれたルカの福音書23章34節「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」を読んだ時、胸が痛みました。
堤岩里記念館へは、ソウルから韓国新幹線で水原(スウォン)駅まで行き、そこからバスで独立記念館を訪ねた後、一度水原駅に戻り、改めてタクシーで堤岩里記念館に向かいました。交通の便は良くありません。
現地留学中のクリスチャンがガイドをしてくれたのですが、タクシーに乗った途端、運転手さんがもの凄い勢いで彼女に話しかけるんです。雰囲気が尋常じゃないので「やばそうなことがあったの?」と尋ねると「そうみたい」「北朝鮮の軍事行動級?」「たぶん」と。
後で知ったのですが、延坪(ヨンピョン)島が北朝鮮軍に砲撃されて、死者が出たのでした。翌日帰国することになっていたので、飛行機が出るか気をもんだのですが、無事に帰国できました。驚いたのは福岡空港です。ゲートを出た瞬間テレビ局に囲まれて「どうでしたか?」と。「インタビューをお受けするのは構いませんけど、私、皆さんの同業者ですよ」と答えると、みんな去っていきました(笑)。
ちなみに、砲撃の日のソウル市内は落ち着いたもので、帰国後、友人の韓国人に話すと「いつものことですよ。お金か食料がほしいんですよ」と、あっけらかんとしたものでした。いやはや。