神が与えたメンターたち

 神さまは、私が社会人になって間もないころから、私にとってよき手本となる人や、成長を促すよき導き手、つまり「メンター」を与えてくださいました。特に影響の大きかった一部の方にしぼって紹介したいと思います。
 
 この方は「恩人」です。カール&ウィルマ・デボアご夫妻。共にオランダで生まれ、第二次世界大戦後まもなくカナダに移住し、その後日本で30年以上、宣教師としてキリストを宣べ伝えました。今はカナダに戻られています。
 
 島原時代、デボア夫妻は宣教師として、私たち夫婦は信徒として同じ教会に所属し、2000年代前半の数年間を共にしました。結婚して間もなかった私たち夫婦にとって、ご夫妻は「クリスチャン夫婦のロールモデル」でした。私たち夫婦はご夫妻にお願いして「クリスチャンの結婚生活について」学ぶ場を何度か持ってもらいました。ここで学んだことは現在に至るまで、私たち夫婦の原理原則となっています。
 
 
 
 2003年、いくつかの教会が集まる大会に参加したデボア師は、4本のビデオテープを持ち帰りました。大会のメインスピーカーで、ハワイにある「ニューホープ・クリスチャン・フェローシップ・オアフ」という教会の牧師、ウェイン・コデイロ師の講演が収録されたものでした。
 
 コデイロ師の講演は衝撃的でした。斬新な着眼点、本質をずばり突いた問いかけ、ユーモアと励ましに満ちた内容……。私は4本のビデオをDVD化し、さらに音声だけMP3化し、繰り返し繰り返し聞きました。
 
 2006年に南米のエクアドルに行ったのですが、帰りの飛行機がハワイ回りだったので、念願のニューホープに寄り、コデイロ師にもお目にかかりました。
 
 私がコデイロ師から学んだ原理原則はまたの機会に記しますが、私の思考のフレームワークの大半はコデイロ師から学んだことでできています。
 
 余談ですが、YouTubeで「ウェイン・コデイロ」と検索すれば、ハワイの教会でのメッセージ(説教)が日本語通訳入りで聞けます。
 
 
 
 鹿児島時代は、3人の総務省(旧自治省)出身者に、それはそれは鍛えられました。
 
 まずは伊藤祐一郎知事。知事はよく「時間軸、空間軸」という言葉を使いました。知的な人とは、長い時間軸と広い空間軸の中で自らを位置づけることができる人のことであると、私は仕事を通じて学びました。毀誉褒貶ある人でしたが、彼を尊敬する人も嫌う人も、彼が尋常ではない読書家であることは認めていました。彼は普段から難解な本を多量に読むことで、自らの時間軸、空間軸を広げる努力と、脳の〝咀嚼力〟(複雑な事象を〝因数分解〟し、本質を抽出する力)を鍛える努力を続けていました。脳の〝咀嚼力〟も知的な人の条件ですね。
 
 
 
 2人目は丹下甲一副知事です。この人は真正の「貴族」でした。残念なことに、2015年に58歳の若さで他界されました。私の丹下さんについての思いや理解は、その1年後に有志で自費出版した追悼文集(非売品)で余すところなく述べたので割愛しますが、今の私がこのような私であるのに、丹下さんは決定的な影響を与えました。今も背中を追い続けています。
 
 
 
 3人目は佐々木浩副知事。この人は私の「読書と映画のメンター」です。「ギリシャ悲劇は全巻読んでないと恥ずかしいよね」「松山に転勤するなら、漱石の全集ぐらい読んでおかなくちゃね」なんてことをさらっと言って、私の闘争心に火をつける人です。「フォークナーの『響きと怒り』は読んでないの?」とか。
 
 読んだ人は分かりますよね、「響きと怒り」がどのぐらい難解か。全然楽しくありませんでしたが、石にかじりつくような思いで読み終えました。ついでに、やけくそでフォークナーの「アブサロム! アブサロム!」も読みました。読書を苦行としたい人にだけ勧めておきます。
 
 
 
 国家官僚、中央官僚、キャリア官僚というと、ネガティブなイメージがあるかもしれませんが、私の知る範囲では、彼らは国家や県の運営を担う重責に見合うだけの知性や見識、センスを持っていましたし、尋常でないレベルの努力もしていました。
 
 こんな人たちに仕事で渡り合わないといけないのですから、それはそれは大変でしたが、神さまはそのようなやり方で、私を成長させてくださったのだと思います。ええ、心から感謝します(うへー)。