新聞記者の仕事の醍醐味の一つは、取材を通して多くの人と出会えることです。ほとんどの方はクリスチャンではありませんが、中には、クリスチャン顔負けの人格を備えた人、高潔な人、試練に遭ってもなお輝きを失わない人がいて、多くのことを勉強させてもらいました。
私より23歳年長のNさんも、そんな一人です。Nさんが、末期に近いガンだと知って、先日、Nさんを訪ねました。Nさんは遠方に住んでいるので、葬儀に出られるかも分かりません。なので最後に一目会って(それとは言わないまでも)〝生前葬〟をしておきたい、何よりイエス・キリストを伝えておきたいと思ったのです。
十年は会っていなかったと思います。随分痩せていました。階段を上る足取りも、ゆっくりとしたものでした。
どのタイミングでイエス・キリストを伝えればいいか。ずっと悩み、祈っていました。機会が訪れたのは23時を過ぎたころ。Nさんの家には海に面した庭があるのですが、そこに備えられた椅子に腰掛けた時、天啓のようなものがあったのです。
「Nさんは、僕がクリスチャンであることは知ってましたっけ?」
「いや、初耳だなあ」
「キリスト教の教えだと、死後の世界は天国と地獄しかなくて、クリスチャンというのはイエス・キリストを信じて『天国行きの切符』をもらった人のことなんですが……」
ここまで言って、急に腰砕けになりました。本当は「Nさんもイエス・キリストを信じませんか?」と続けたかったのに、相手の信条を忖度し過ぎてしまったのです。口から出たのは、こうでした。
「Nさんは、死んだらどうなると考えているんですか?」
案の定、それはキリスト教とは無縁の回答でした。
「お釈迦様のそばで今の仕事を続けてるかなあ」
さあ、どう話を展開させたものか……。答えのないままに、2球目を投げました。
「死ぬのは怖くないですか?」
「それはないかなあ。十分生きてきたし、やるべきことをやってきたし」
どう話をつないだらいいか分からず、言葉を選びつつ、ストライクゾーンど真ん中に直球を投げることにしました。と言っても豪速球ではなく、ヘロヘロ球でしたが。
「Nさん……今から言う話は、Nさんの思想信条とは全然相容れないかもしれないけど、僕たちクリスチャンはさっき言ったようなことを信じていて……僕はNさんにも天国に行ってほしいと思っていて……そのためにはイエス様を心に受け入れなきゃいけないんだけど……今からNさんのためにお祈りしてもいいやろか?」
Nさんはちょっと驚いたような顔をしていましたが、快く同意してくれました。
「じゃあ今から祈りますんで……その内容に同意されたら、最後に『アーメン』と言って下さい」と前置きをして、祈り始めました。
本当は「罪とは何ぞや」という話からして、「その罪の代償としてイエスが十字架に架かって」みたいな話をすべきなんでしょうが、そういうシチュエーションではなかったので、仕方なく全部祈りの中に織り込むことにしました。
「天の神様。このひとときを感謝します。Nさんと出会わせてくださったことを感謝します。こうしてNさんと共にお祈りできることを感謝します。神様、あなたが私たちの罪のためにイエス様を送ってくださったこと、イエス様が私たちの身代わりに十字架に架かってくださったことを感謝します」
ここまで来て、急にしどろもどろになりました。
「Nさんの残りの人生も、わずかなものになってきました……でもあなたは、Nさんが、そしてすべての人が滅びに至ることを望んではおられません……そのために私を遣わしてくださいました……私と同じようにNさんが心の一番深い所にあなたを受け入れることを……願います」
ああ、もうっ! お前は何が言いたいんだ。
「イエス様、あなたを信じます。迎え入れます。すべてをイエス様の御名によって祈ります。Nさんに天国行きの切符をお与えください。アーメン!」
と言った瞬間、日付が変わろうとしているころだったにも関わらず、Nさんのスマホが鳴りました。でもNさんは先に「アーメン」と言ってから、電話に出られました。本当に絶妙なタイミングだったと思います。
翌朝会った時、Nさんは深々と頭を下げて、こう言ってくれました。「昨日はお祈りをありがとうございました」
大役を果たせて、正直ほっとしました。コロナワクチンが全く普及していなかったので、少しためらわれましたが、固い握手をして分かれました。後は、神様の御手に委ねたいと思います。