コーヒーは1日1杯までと決めています。イエス・キリスト以外の何者(物)にも、中毒になりたくないからです。なーんて格好つけてますが、相当重症の活字中毒です。はい。活字がないと死んでしまいます。
ですが、手にした瞬間に「あかん、この本は読めん」と棚に戻した本もいくつかあります。フランス現代思想の大家、ピエール・ブルデュー先生の「ディスタンクシオン」は、そんな一冊です。
根性なしの私は、石井洋二郎さんによる解説書「差異と欲望」で、「ディスタンクシオン」をショートカットしました。とてもいい本でした。今回のメインテーマである「文化資本」は、石井さんを通じてブルデュー先生から学んだものです。
(私の理解が正しければ)文化資本とは、経済資本のように数値化はできないが、金銭・財力と同じように、獲得・蓄積・拡大が可能なものであり、ある意味で贈与可能なものであり、社会生活の中で一種の資本として機能する文化的要素です。文化資本には①知識や教養のように身体化
されたもの②書籍や絵画のように客体化されたもの③学歴や資格のように制度化されたもの--があります。文化資本は家庭環境の中で自然と身につくものと、学校教育の中で後天的に身につけるものがあります。
私の両親は、共に中学を卒業した後、家族を支えるためにずっと働いてきました。そういう訳で、両親から贈与された(生育環境の中で身についた)文化資本は、私にはほとんどありません。
ですが、知識や教養、言葉遣いなどは後天的にでも取得可能なので、それらの文化資本を増やすことに、私は自分の持ち時間を割いています。ゲームやパチンコ、テレビのバラエティー番組やSNS、ネットサーフィンなど、いくら時間を投じても文化資本にならないものには手を出しません(パチンコは上達すれば、経済資本の拡大にはなるかもしれませんが)。
手塚治虫はかつて、赤塚不二夫ら後輩たちにこう言ったそうです。
「漫画を描くのに漫画ばかり読んでいたのではいけません。もっと本を読んだり映画を見たり勉強をして今の漫画より良い物を描いて下さい」(「手塚治虫物語」伴俊男+手塚プロダクション)
漫画家は創作=自分の中からアウトプットをするのが仕事だから、良質なインプットが不可欠だと強調したかったのでしょう。私はこの言葉をこう解釈しました。「一流の創作をしたいなら、一流の本を読み、一流の映画、お芝居を見なさい。さまざまな勉強をしなさい」
会社の先輩に「遊び100」を実践している人がいました。「社畜」(会社の家畜)にならないために読書、観劇、美術展、映画鑑賞など、仕事以外を1年間に100こなす、というもの。これも良質なインプットの重要性を指摘したものと言えるでしょう。
私は地方都市を転々としてきたので、観劇や美術展は大都市ほど恵まれた環境にはありませんでした。ですが、読書と映画鑑賞ならハンディキャップは大きくありません。という訳で、読書100冊、映画鑑賞100本を一応の年間目標にしてきました。
私にとって本と映画は文化資本の〝原料〟であり、「脳と心の食事」です。ですから、読む本、観る映画は、なるべく〝栄養価〟の高いものを、と思っています。「脳と心は〝筋肉〟でできている」が持論です。適度な負荷をかければどんどんムキムキになっていく、という意味です。ですから読む本、観る映画は、適度な負荷がかかるものでなければいけません(「ディスタンクシオン」は負荷が高すぎた)。
「文字・活字文化推進機構」会長で、資生堂の元社長の福原義春さんが、2009年7月4日の新聞でこのように語っていました。
「空気や水とは違うが、本は人間として社会で生活するには欠くことのできないものです。でも、本なら何でもいいというわけではない。ハウツーものをビジネスマンはよく買うけど、あれは2年たてば全部使えなくなる。それだけ読んでいても社会的人間として成り立たないというのが僕の説でね。流行作品もそう。それよりも古典とロングセラー。そういうもので自分を磨くべきだと思っているんです」
村上春樹「ノルウェイの森」で、主人公が一時期親しくしていた永沢という人物が「オレは出版後50年を経たものしか読まない」とうそぶく場面がありますよね。その時読んでいたのがフィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」で、主人公から「その本は50年経ってないでしょ」と突っ込まれるのですが、永沢は「フィッツジェラルドはいいんだよ」とかわします。
基本的に私が読むのは、永沢と同じく、出版後50年を経た本=古典です。時の流れを川に例えるなら、浮かんでは消える「うたかた」のような本は後でいいかな、と。激流の中でもそびえたつ岩のような古今東西の名著をまずはカバーしたいと思ってます。文化資本指数が高い=栄養価も負荷もハンパじゃありませんから。
もちろん、仕事の必要に迫られて、あるいは古典が食傷気味になった時はコンテンポラリーにも手を伸ばします。前述した通り、私には読書の「メンター」と仰いでいる人がいるので、その人や、ライフネット生命創業者の出口治明さんのような(出口さんも私にとって読書のメンターです)、私ごときが及びもつかないような読書家が勧める本も読みます。食事と同じで、偏食はいけないし、筋肉もバランスよくつけることが必要なので。
本は基本的に図書館で借ります。「納めた税金を少しでも回収したい」という関西人的損得計算も少しはあります。図書館にない本だけ、地元の本屋さんで買います。Amazonを使うのは、急ぎの場合だけです。
読むタイミングは「時間が5分でもあればどこでも」。あとは寝る前です。鹿児島時代、記者クラブで弁当を食べながら読んでいたら「さすが山崎さん」と感心されたことがあります。私からすると、話し相手のいない食事はと脳が〝アイドリング状態〟でもったいないので、読んでいただけなのですが。
映画は「総合芸術」です。ご案内の通り、芸術には三つの形態があります。①空間芸術=絵画や彫刻など空間を占めるもの②時間芸術=時間的変化を必要とするもの。文学や音楽など③総合芸術=①と②を組み合わせたもの。映画や演劇など。
映画館に行くのは、家族行事や妻とのデートの時ぐらいで、基本的には新作は追いかけず、時の流れの中で残ったものを中心に観ます。あまりレンタルもしません。NHKのBSプレミアムが、私の〝シアター〟です。NHKの目利きによって絞り込まれていますし、邦画も洋画もバランスよくラインナップされています(西部劇が多いのが、ちょっといただけませんが)。ランニングコストは月々の受信料だけです。
事前にウェブサイトで番組説明を読み、録画する番組を絞ります。録画後はタブレットにダビングして、通勤時間に観るだけです。映画の方が情報量が多いので、負荷は活字に比べると小さいですね。最近、映画偏重気味になり本があまり読めていないので、もうちょっとバランスよくしたいな、と思っています。