ルサンチマン

 NHK Eテレ「Q~こどものための哲学」を見ています。小学生向けながら、根源的な問いを投げかけてきます。
 
 先日のテーマは「死んだらどうなるの?」でした。「死んだら心はどうなるの?」「心はどこにあるんだろう?」「死んだら、心はどこに行くんだろう?」。大人でも簡単に応えられないと思いました。
 
 現時点における私の仮説です。
 
 ①人間の「非物質的な領域」は、霊と魂の二層構造
 ②魂は精神や心から成る
 ③魂の格納場所は脳である
 ④死んだら魂は消滅する
 ⑤霊は不変の「その人自身」
 ⑥死んでも霊は消滅しない
 ⑦死んだら霊は神の御前に立ち、生前の行いについて報償/裁きを受ける

共同体が崩壊した末に

 日本社会を蝕むルサンチマンがずっと気になっています。ルサンチマンは弱者が強者に抱く怨念、恨み、鬱屈、復讐心、嫉妬といった負の感情を指します。
 
 ルサンチマンは時に攻撃という形を取ります。標的は日本に住む外国人であったり(各種ヘイト)、障害者だったり(津久井やまゆり園事件のような)、中央官僚やマスメディアだったり(「罪務省」「マスゴミ」といった言葉に表れています)します。
 
 「失われた30年」で格差が広がったことが、ルサンチマンの要因として挙げられます。私も同意します。
 
 ただ、スマホとSNSの登場によって「大きなまとまり」が崩れ、「互いに無関心な小グループ」(社会学で言う「島宇宙」)が無数にできたことも、大いに関係していると考えています。
 
 「大きなまとまり」の中には、宗教も含まれます。良し悪しは別に、宗教という中間共同体が日常生活に強く根差していた時代(「若草物語」や「赤毛のアン」の時代)、人々は信仰を核として、大きな疑似家族を作っていました。高度経済成長期、日本は会社を核として疑似家族を作っていました。

隣人愛

 だからもう一度教会に行こう、とは言いません。でも、所属する教会がないよりあった方が、「誰かとのご縁」は確実にできるとは思います(孤独の対義語はご縁です)。
 
 時計の針が逆に回らない中で、どうやってルサンチマンを克服するのか。私は、自分が関係する人(=隣人)の外的条件や精神性、人格を見るのではなく「霊」を見ることに鍵があるのではないかと考えています。
 
 霊は成長することも損なわれることもない。ゆえに上下も優劣も、国籍も年齢もない。ゆえに、ただただ「敬意を払われるべき」対象である。
 
 他者に対して敬意をもって接する。簡単なようで難しいのですが。隣人愛が意味するのもそういうことだと思います。