Wi-Fiは入らない、テレビも新聞もない部屋で、横になるしかありませんでした。お腹がぐーっと鳴りました。でも、冷蔵庫もない。
自宅だったら、ちょっとした時間があれば、何かメッセージが来ていないかスマホを確認したり、タブレットで映画を見たり、新聞を読んだり、溜まった録画をテレビで消化したでしょう。むろんお腹がすけば、冷蔵庫から何か取り出せます。
その時、私がいたのは、カトリックの修道会の施設内の個室。携帯の電波は入りましたが、「場」の力でしょうか、スマホを触る気にはなりませんでした。
ベッドでぼーっとしているうちに気づきました。「自分はいかに資本主義と文明に毒されているのか」と。
メッセージなんて、急いで確認しなくていいのです。タブレットで映画を見るのは隙間時間を文化資本に変換しようとする、ただの貧乏性です。活字中毒なので新聞は許してほしいですが、録画だって見ずに削除していい訳です。お腹がすいた? 夕食まで我慢しましょう。冷蔵庫や自販機、コンビニが社会に行き渡るまで、日本人はそうしていました。
心静かに神と向き合う場
キリスト教界には「リトリート」(Retreat)というものがあります。「修養会」と訳されます。
街の喧騒を離れて、文明の利器から切り離されて、豊かな自然の中で内省し、神との交わりを深めましょう--そんな場です。
私が(それと知らずに)参加したのは、一種のリトリートだったのです。
きっかけは、義弟が関西に来たことでした。大阪で食事した後、宿泊先まで送っていったのですが、隣がカトリック教会でした。その教会に呼ばれているような気がして、中を見学させてもらいました。そこに「黙想会」のチラシがあったのです。
黙想というからには「沈黙の行」でもするのか? イグナチオ・デ・ロヨラの「霊操」とか、読んでもさっぱり分からなかったしなあ。好奇心が止まりません。で、なんの情報もなしに参加したのです。
尋常じゃない量の……
祈りの最中、一枚の「絵」が脳内に示されました。若い頃はそういうことがよくあったのですが、そう言えばここ十年以上ありませんでした。霊的でなくなったせいかもしれません。
黙想会の1カ月ほど前、私は洗濯機のカビ取りをしました。洗濯槽って手入れをしていないと、見えない所に黒カビがじわじわ広がります。こんな感じです。専用の洗剤を投入してしばらく置いたらさあ大変。取っても取っても、剥がれたカビが洗濯槽に出てきます。3時間以上すくってたと思います。
脳内に示された「絵」は、黒カビがいっぱいに付着した洗濯槽です。
資本主義と文明に毒された自分の脳と、同じに思えたのです。
リトリートは、洗濯機にとっての専用洗剤の役割を果たしてくれました。
リトリート後、タブレットで映画を見る時間を減らしたり、スマホを寝室に持ち込むのをやめるようになりました。何気なくやってきたことの中に、カビの元があるような気がして。数々のポイントカードも財布から抜きました。英語でBrain washは洗脳のことですが、脳が洗われてカビが落ちた気がします。元の木阿弥では意味がないので、定期的に手入れしないと、と思っています。