右と左 どっちが偉い?

 「神戸出身」と言うと、大抵の人は市のイメージに沿って美しく誤解してくれる(ブルジョワ~プチブル出身だと勝手に誤解する)のですが、私はプロレタリアート出身です。「地金」が最も分かりやすい形で出るのが畏まった食事の席。何分、身体化されたテーブルマナーなど何一つないので、ナイフとフォークが出てきたら冷や汗。人様とご一緒するなら鉄板焼きや街中華が一番安心です。
 
 「分かる」と「できる」の間に千里の径庭があるのは承知の上で、図書館で「教養としての食べ方」(松井千恵美)を借りてきました。大変勉強になりました。
 
 中華料理では基本的には「左が上位、右が下位」だそうです。同書によると、その根拠は「天子南面す」。天子様(皇帝)=上座の人は北極星を背にして座る=南を向く。その場合、太陽の上る東側=左手の人が2番目の序列、西側=右手の人が3番目の序列になる、とありました。日本の雛人形の左大臣が年長者で、右大臣が若年者なのも同じ理由だそうです。
 
 確かに、京都の基礎になった平安京は中国の都市に倣ったものですが、宮殿は北端中央部にありました。帝(みかど)は宮殿から南を向いています。京都の旧制第一中学は現在の洛北高校で、ここでも南に対する北の優位性が見て取れます。地価は左京区の方が右京区よりずっと高いです。

西洋では右が偉い

 この本によれば西洋では逆に「右が上位、左が下位」だそうです。rightが「正しい」という意味なのも、五輪の表彰台で金メダリストの右手が銀、 左側が銅メダリストなのも、そういう理由だとか。
 
 本にはその根拠は書かれていませんでしたが、私は聖書由来だと考えました。聖書に「右」は201回、「左」は81回出てきます。言及のされ方においても、右の方が明らかに上位です。
 
 ところがイスラエルは、右手を伸ばして弟であるエフライムの頭に置き、左手をマナセの頭に置いた。マナセが長子なのに、彼は手を交差させたのである。(創世記48章14節)
 
 人の子(※再臨のキリスト)は、羊飼いが羊をやぎからより分けるように彼らをより分け、羊(※信者)を自分の右に、やぎ(※非信者)を左に置きます。(マタイの福音書25章32、33節)
 
 イエス・キリストは天に上り、神の右におられます。(ペテロの手紙第一3章22節)

神はどんな姿をしている?

 ここで問題になるのが「神(第1位格の神、父なる神)は人の形をしているのか?」。神には頭部があり、胴体があり、両腕両足があるのか。
 
 創世記5章1節には「神は、人(※アダム)を創造したとき、神の似姿として人を造り……」とあります。書いてある通りに解釈するなら、神には頭も手足もあります。西洋の古典絵画では老人の姿で描かれています。
 
 しかし「似姿」を物理ではない、「知性やこころ、精神(mind, heart, spirit)を持った存在」と解釈するなら(そもそも神は霊ですから)、五体云々は考える必要はないでしょう。
 
 その場合、右手、左手と聖書にあるのは、人間に理解できるようにそのように表現されているだけと考えられます。さらに言えば、神はこの物質世界の外側におられる方なので、神には東西南北どちらが上位かという概念そのものがないでしょう。