宗教4世

 安倍元首相銃撃事件を機に「宗教2世」という言葉が人口に膾炙した気がします。ただ、彼/彼女らを取り上げた報道に接する度に、違和感を覚えます。だいたいこういう定式だからです。
 
 親が新興宗教やカルト宗教にのめり込む>子は幼いうちから信仰を強要され、「世間」と大きくずれた生活、経済的に困窮した生活を余儀なくされる、あるいは教義に反したなどの理由で虐待等を受ける>2世たちは、大人になってもトラウマや苦悩から解放されない--。
 
 実際にそのようなケースが多いのかもしれませんが、報道する側の根底に「宗教2世=不幸な人」という、アンコンシャスバイアスを感じずにはおられません。意図的だとしたら、「幸せ満開の話なんて誰も読みたがらない。不幸な話ほど読まれるんだ」という決めつけか(「他人の不幸は蜜の味」と申しますし)、「幸福は社会問題ではないが不幸な人が一定数いるのは社会問題だからペンの力で少しでも日本を良くしたい」という使命感でしょうか。
 
 私自身は、プロテスタント界の宗教1世です。私の両親はクリスチャンではありません。妻は宗教3世です。祖父、両親から信仰が受け継がれてきました。わが家の3人の子どもは、私から見れば宗教2世、妻から見れば何と4世です。
 
 わが家の子どもたちは(かつて妻がそうであったように)妻のお腹の中にいる時から教会に通い、教会学校の仲間たちと育ち、自ら洗礼を受けることを決めました。教会に行かなかった時期はありました。その時は無理強いはしませんでした(転居を機に、また一緒に行ってくれるようになりました)。子供の意志は尊重してきたつもりです。
 
 確かにわが子たちは初詣に行ったことがないし(毎年の新年礼拝には行っている)、除夜の鐘を聞きに行ったこともありません。その点で世間とは異なります。親として至らぬ所は多々あったと思いますし、信仰とは無関係な理由でゲーム機を買ってもらえないなど子供たちには窮屈な思いをさせたことも少なからずあったと思いますが、虐待や、親の信仰に起因したトラウマ、苦悩はなく育ってきています(たぶん)。
 
 むしろ、周囲が感心するぐらい家族が仲良しで(次男など姉LOVEで姉から離れない)、経済的な面も含めて今の自分が相当恵まれた環境にいること、その中心に親の確固たるキリスト教信仰がある点は認めていると思います。先日など、長女がぽろっと「今が人生で一番幸せ」と言ってました。私と妻も同じ思いです。
 
 今後独り立ちして教会に通わなくなったり、ノンクリスチャンと結婚するかもしれませんが、親として残念には思っても反対はしないつもりです。
 
 (新興)宗教2世の方々の不幸な生い立ちには同情を禁じえませんし、彼/彼女らが心からの幸福を手に入れてほしいと願います。しかし、報道の皆さんに間違ってほしくないのは、不幸の根本的な要因は、彼/彼女らが宗教2世であることそのものにではなく、親が信じた宗教の教義が間違っていたから、偽りの宗教だったからにある、ということです。
 
 むろん、すべてのクリスチャンファミリーが幸福な家庭を築いている訳ではありません。信仰生活は人間のわざでもあります。牧師に問題があったり、教義の解釈を間違えていたり、両親の理解が不足していたり、信仰熱心になり過ぎるあまり家庭に不幸がもたらされることもあるでしょう。牧師の子が「うちのお父さんは、信徒の家庭の事ほどに自分の家庭には熱心ではなかった。だから自分は教会から遠ざかった」と言うのを何度も見聞きしたことがあります。
 
 メディアの皆さん、少なくともプロテスタント界には「幸福な宗教2世(3世、4世)もいる」ことをどうぞ頭の隅に置いてください。幸福を再生産・拡大する教義でなければ、代々受け継がれて、世界中に広がるはずないですよね。そんな家庭は、記事やマンガの題材にならないですか?
 
 最後に不幸な生い立ちをされた(新興)宗教2世の皆さんへ。宗教に対するアレルギーは人一倍強いだろうと思います。でも、真の幸福と心の癒しへの入口は、まことの宗教、キリスト教にしかありません。その世界を覗いてみませんか?
 
 イエスは言いました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネの福音書14章6節)