九州大学大学院付属施設の地震火山観測所に、取材で足繁く出入りしていた事は、何度か書いてきた通りです(その成果は新聞記事という形で社会に還元されました)。観測所で学んだことの一つは「シグナルとノイズ」です。
地震・火山観測の主役は、地震計です(GPSなども使われますが)。地殻が割れた、マグマが動いたなどの情報は地震波となって伝わり、地震計にキャッチされます。地震計にとって、その情報は「シグナル」です。
しかし、例えば地震計のそばをダンプカーがガタゴト言いながら走ると、その揺れも記録されてしまいます。そうした「ノイズ」を避けるため、地震計は山の中などに設置されます。
補聴器をお使いの方から、似た話を聞いたことがあります。
礼拝中は静かなので、牧師の話は聞き取りやすい。礼拝後、周囲がガヤガヤすると、補聴器がすべての音を拾ってしまうので、特定の人の声が聞き取りづらくなる、と。
シグナルとノイズの量は相反関係にあります。これは、聖霊なる神と、信者の関係にも当てはまります。
信者の心が、世間のこんなことあんなことでいっぱいだと、聖霊なる神のさやけき御声はノイズにかき消されます。
祈り(=神との対話)も、「神様ああしてください、こうしてください」式の祈りばかりだと、神からの返答がキャッチしづらくなります。
何度も書いていますが、なので、生活はなるべくシンプルにしたいと思っています。最近は、「沈黙に身を浸す」式の祈りを心がけています。
(行ってらっしゃーい)
ささやき声に目を上げると、妻がベランダから手を振っていました=写真。15メートルぐらい離れているのに、周囲が静かだと(朝6時のバスに乗ろうとしていたのです)、本当に小さな声でも聞こえるんですね。
シグナルとノイズ
