タロウ氏とたろう君(1)

 自分の人格は2層構造。通勤電車を降りた時、不意に理解しました。天啓でした。
 
 上層は「タロウ氏」。年間350日ぐらいはこちらでしょうか(自宅でも)。職場では持てるパフォーマンスのすべてを発揮しようとし、負の感情の抑制に努め、上司に忠実、部下に寛容な中間管理職たらんとし、自由時間のほとんどを勉強に充て、家庭では常に良き夫、良き父、良き自分自身の管理者であろうとし、信仰者としてはプロテスタント福音派として聖書の教えに忠実な生き様を貫こうとします。
 
 クリスチャンになり、今の会社に拾われた後、外的環境によって脳内にインストールされたOSがアップデートを繰り返しながら形成した、後天的な自分です。あまり笑いません。
 
 スノビズム、イミテーション、メッキ、エセ貴族等の言葉が似合います。言葉遣いは婉曲表現や二重否定、副詞や分詞構文を多用し、発音も標準語に近いです。
 
 しんどくないか? 福音派であることは苦でないのですが、勉強と知的労働と感情労働を高レベルで求められるのはとてもしんどいです(読書は娯楽でなく修行です)。今の職責を離れたら、少しは楽になるかもしれません。
 
 他者から「何もかも見透かされてるんじゃないか」と怖がられるのもタロウ氏(私にすれば「鏡に映ったあなた自身を見ているだけ」なのですが)、本サイトを執筆しているのもタロウ氏です。

もう一人のワタシ

 下層は「たろう君」。タロウ氏よりはずっと親しみやすいと思いますが、ほとんど表に出ません。あくせくしません。パフォーマンスにこだわりません。「福音派たるもの~」とか言いません(笑)。否定形による定義が多いのが気になりますが、物静かで、部屋の隅で本(課題図書でなく自由図書)を読んでいるのが幸せな、素の自分です。結構、馬鹿なことも言っています。
 
 仕事や責務から解放されて、心からリラックスしている時間が続くと、出てきます。言葉遣いは神戸のワーキングクラス~ロウワーミドルクラスが使う関西弁のそれです。

分人?

 2層構造は、二重(多重)人格とは違います。記憶や行動原理の一貫性はあるので(タロウ氏が「美しくない」と思うものはたろう君もそう思う)。平野啓一郎さんが唱える分人主義に近いと思います。
 
 たろう君でいる方が本人も周囲も楽だと思うのですが、仕事用OSとしてはポンコツ過ぎるので、会社から成果を要求され続ける限り、タロウ氏が今後も支配的でしょう。
 
 教会は、たろう君に戻るはずの場なのですが、出てきません。現時点での仮説は①知性、感性、霊性のうち、知性優位(=タロウ氏)になっている②素の自分でなく、職場名や肩書で見られている③たろう君が出てくるには時間が足りない--からです。
 
 2層構造に気づいて以降、意識してたろう君と対話しています。ヤマサキタロウ氏とやまさきたろう君が統合されて、シン・山崎太郎になる日は来るのかな?